祈
〜　ナナリー　〜

　車が静かに停まり、隣に座っていた咲世子が口を開いた。
「ナナリー様、着きました」
「ここが･･･」
「はい、枢木神社です」
　枢木神社。かつて、ナナリーが一夏だけ暮らした場所。
　ナナリーは窓越しに、神社の鳥居へと続く石の階段を見上げた。
　咲世子が先に車を降り、ナナリー側のドアを開けた。
「周辺に警護の者を配置いたしました。この地域一帯に部外者が入る心配はありません。尤も、今はこの辺りには人が住んでおりませんので、地域住民の不都合になる事はありません」
「そうですか」
「ここから先は、この者が案内いたします」
　咲世子が一歩下がって、一人の青年を示した。
「昔、この周辺に住んでいた事がある者です」

『ナナリー、スザクはね』
　青年がナナリーの前に進み出た。栗色の癖毛だ。
『柔らかい栗色の癖っ毛で』
「初めまして、ナナリー様。この先のご案内をさせていただきます」
『草原のような緑の瞳をして』
「そうですか、よろしくお願いします」
『お日様みたいに笑うんだよ』
　表情のない青年は欠片の笑みも浮かべずに、ナナリーに頭を下げた。



　咲世子と警護の者達を階段下に待たせて、青年はナナリーを背負い、石階段を登り始めた。
「すみません、重いでしょう」
「いえ」
　青年は必要最小限の応答しかしなかった。広い背中に負われているナナリーが口を閉ざすと、風に揺れる森の木々の葉擦れや鳥の声しか聞こえない。
「こんなに、長い階段だったのですね」
　ぽつりと呟く。青年の返事はない。青年は名乗るべき名前はないと言い、ナナリーも名前を求めなかった。それで良かった。
　今、ここに居るのは、青年とナナリーの二人きりだ。懐かしい場所に一緒に居られる、ただそれだけで充分だった。
　青年に背負われながら、ナナリーは返事のない会話を続けた。
「昔、ここを今と同じように背負われて登った事があります。その人は『大丈夫だよ』と言ってましたが、子供の体力で私を背負って登るなんて、ちっとも大丈夫ではなかったんですね。本当に嘘つきでしたわ」
　ナナリーを背負った青年は息一つ乱さずに、階段を登り切った。信仰としての場であるためか、鳥居をくぐったそこには、澄み切った冬の空気が凛と満ちていた。
「ここが枢木神社です。今は管理する者もなく、荒れ果てていますが。正面にあるのが本殿、そちらが社務所。･･･そして、もっと奥まった場所に土蔵があります」
　ナナリーを背負ったまま、青年が説明してくれる。
「あの、土蔵を見てみたいのですが」
「分かりました」
　管理する者もない敷地内は青年の言うとおり、荒れ果てていた。土蔵もボロボロだった。開けるまでもなく、土蔵の扉は壊れていて中を覗く事が出来た。建物の形状を保っているだけマシなのかも知れない。それでも、当時の自分達にとってかけがえのない小さな家だった場所だ。
　青年の背中でナナリーは呟いた。
「ここが、そうなんですね」
　何がそうなのか、青年の返事はない。ナナリーも返答を期待したわけではなかった。
　その土蔵が最後だった。敷地内を一通り案内し終えた青年は、ナナリーに訊いた。
「他に何か見たいものはありますか？」
「あの、この近くにどこか綺麗な場所はありますか？」
「え？」
「できれば、その、子供が秘密基地を作るような、そんな場所の近くに、綺麗で静かな場所があるといいのですが」
「･･･自分に心当たりがあります。そこへご案内しましょう」
「お願いします」
　青年はナナリーを背負っている疲れを見せずに、そのまま歩き出した。



　枢木神社の背後に広がる鎮守の森に、青年は足を踏み入れた。森に入り獣道のような整備されていない道を、青年は何の苦もなく歩き進んでいく。しかし、背中のナナリーを気遣ってくれているのは、分かった。
　まるで、自分の庭のように森を歩く青年の足で十分ほど行った所に、開けた場所があった。
「子供が秘密基地を作るような場所はもう少し先に行った所ですが、綺麗で静かな場所はここら辺りだと思います」
　そこには巨木があった。冬の今は何もつけていない枝を大きく空へ伸ばしていた。年月を感じさせる太い幹をナナリーは見上げた。
「この木は？」
「桜の木です。春になると満開の花をつけます」
「ああ、この木が」
　当時は見る事が出来なかった。それでも、その時の声を、言葉を鮮やかに思い出す事ができた。

『春になるとな、花がピンク色の雲みたいにぶわぁーっと咲いて、花びらが雪みたいに落ちてくるんだぜ』

　春どころか、ひと夏しか過ごさなかったナナリー達が見るべくもなかった光景。きっと、誇らしげに語っていた唯一の友人が見せたかっただろう景色。
「あの、すみませんが、その木の根元に下ろしていただけませんか？」
「分かりました」
　青年はナナリーを静かに桜の根元に下ろした。
　ナナリーは昔作ってもらった手作りの小さなリュックを背中から下ろして、中から小さなスコップを取りだした。
「ここに少しだけ穴を掘ってもかまいませんよね」
「はい、大丈夫でしょう。しかし、それなら、自分がやりましょう。土いじりなど貴女がする事ではありません」
「ありがとうございます。でも、これは私がやらなければならない事なんです」
　ナナリーは青年に柔らかく微笑んで、スコップを土に突き立てた。
　土は固く、ナナリーの力ではなかなか掘り進められなかった。その様子を見かねた青年が、ナナリーの隣に膝を付いた。
「お手伝いいたします。それなら、いいでしょう」
「はい、では、お願いします」
　じわりと滲んだ額の汗を拭きながら、ナナリーは青年の申し出を喜んだ。
　青年は適当な折れた枝を手にして、自分のスコップ代わりにした。青年が固い土を崩し、ナナリーがスコップでその土を掻き出していく。そうやって、何とか深さ30cmほどの穴を掘る事ができた。
「ありがとうございます、これくらいで充分です」
　ナナリーはリュックの中から、小さな箱を取り出した。
「それは？」
　青年の問いに、ナナリーは微笑んで蓋を開けてみせた。
　中には艶やかな黒髪が一房入っていた。
「遺志に背く事ではありますが、コーネリアお姉様がこっそり私に渡してくださったのです」
　その髪が誰のものか言う必要もなかった。
　ゼロが予め残しておいた戦後処理の中に、悪逆皇帝の遺体についても書かれていた。

　墓を作る必要はない。虐殺者を人並みに扱ってはならない。

　そう書かれていた。
　結局、何度かの話し合いの結果、遺志を尊重しながらの妥協点を見いだした。皇帝の遺体は人知れず焼かれ、高温で崩れた骨と灰は海に撒かれた。しかし、その前に、コーネリアが髪を一房切り取って、ナナリーにそっと渡してくれたのだった。
「私がしてやれるのは、これくらいだ」
　そう言って遺髪を渡してくれた、最愛の家族を喪う痛みを知る姉の優しさが嬉しかった。
　ナナリーは箱の中の黒髪をじっと見つめた。
「でも、私の傍にいると、きっといつまでも心配をしてしまうでしょう。それに、私も心に甘えが出てきてしまうかもしれません。だから、この静かな場所で見守っていただこうと思います」
　箱を穴の底に置いて、ナナリーは今度はスコップではなく自分の手で土を掬い、箱にかけた。
「貴方も土をかけてくださいますか？」
「はい」
　青年も同じように、手で土を掬い箱にかけてくれた。
　少しずつ箱は土に埋もれ、見えなくなっていく。ナナリーと青年は何も言わずに、土をかけていく。たった二人だけの静かな儀式。
　穴を元通りに埋め終えて、ナナリーは桜の木を見上げた。この木があれば、この場所を見失う事はないだろう。他の誰も知らない、自分達だけが知る大切な標。
　青年が立ち上がった。
「ナナリー様、もうすぐ日が沈みます。随分寒くなってきました。そろそろ戻りましょう」
　ナナリーは差しのべられた手と青年の顔を見比べた。
「どうかしましたか、ナナリー様？」
　ナナリーは青年の手を取らずに、俯いた。
「昔、私達はあの枢木神社で、ある方と出会いました」
「え？」
「ずっと気になっていました」
「ナナリー様？」
「私達と出会う事で、その方の運命をねじ曲げてしまったのではないかと」
　勇気を奮い立たせるために、箱を埋めた場所に手を添えた。また頼ってしまうと、自嘲しながら。今から口にするのは、訊いてみたかったけれど、訊くのが怖かった問いだ。
「私達はその方と出会えて、幸せでした。当時、私達はとても傷ついていました。でも、その方と出会えたから、本当の意味で世界に絶望しないで済みました」
　あの夏の日があったからこそ、人を信じる事をやめずに済んだ。人と人は理解し合えると、希望を持つ事が出来た。
　けれど。
「ずっとずっと心に引っかかっていました。私達はあの人を不幸にしてしまったのではないかと。だって、私達と出会わなければ、あの方はもっとちゃんと幸せになれたはずですから･･･」
　憎まれても恨まれても仕方ない。勿論、そんな人ではないとも分かっている。此処までの道は、彼が考え導き出した答えだ。
　けれど、それでも、どこかで暗い感情を抱え続けているのならば、それに対してナナリーは謝罪をしたかった。
　どう言えばうまく伝わるのか、分からなかった。けれど、今口にしなければ、もう他に言えるところはない気がした。このたった二人、いや、三人だけでいられるこの場所で、ナナリーは感情を抑える事が出来ずにずっと引っかかっていた言葉を口にした。
　一瞬の沈黙の後、青年の静かな声が降りてきた。
「自分にも似たような出会いがありました」
　ナナリーが見上げると、青年は遠い山に沈んでいく夕陽を見ていた。青年の横顔がこの日最後の彩に染まっていく。
「何度も思いました。出会わなければ、こんな思いをしなくて済んだのではないか、と」
　ナナリーは視線を落とし、手を握りしめ、逃げ出したくなる心を耐えた。ちゃんと最後まで青年の言葉を聞かなければならない。
　それが自分の義務なのだから。
　ナナリーの悲壮な決意とは裏腹に、小さく笑う気配がして、青年はナナリーの前に膝を付いた。
「そんな風にぐるぐると色々考えるのですが、でも最後にはいつも同じ結論に至ります」
　埋めたばかりの土に添えたナナリーの手に、青年の手が重ねられた。ナナリーが顔を上げると、青年は真っ直ぐに見つめてきた。

「出会えて、良かった」

　その日、いや、目が見えるようになってから初めて、ナナリーは青年の笑顔を見た。重なった手の平からぬくもりが伝わってくる。きっと青年とナナリーのぬくもりは冷たい土の下まで届いているだろう。
「彼らとの出会いから始まった悲しい出来事も、苦しい記憶も、憎いと感じる心さえも、全ては今、大切な思い出に還ります。だから、自分は胸を張って言えます」
　西の空を紅く染め上げて、太陽が沈んでいく。東の空には月が昇っていた。
「出会えて、良かった。その出会いがあったからこそ、自分は生きてこられました。そして、これからもそうです。自分は充分に幸せの意味を知っています」
　昼と夜の狭間に零れた真実は、ナナリーの胸に落ちてぬくもりに変わる。
「だから、きっと、貴女の出会いも悲しむものではないと思います。そんな風に思わないで下さい」
　溢れそうな感情を、ナナリーは耐えた。
「すみません、ちょっと目にゴミが」
　リュックから取り出したハンカチで目元を押さえる。今は、過去を謝罪する言葉も悔恨の涙も必要ない。
「ありがとうございます。気持ちが楽になりました。すみません、変な事を言ってしまって」
「いえ。さあ、戻りましょう」
「はい」
　差しのべられた手に、ナナリーは自分の手を重ねた。



　来た道を同じように背負われて、しかし、行きとは違い、青年がナナリーに話しかけてきた。
「今度、桜が咲く頃に参りましょう」
「ええ、ぜひお願いします。あの桜が咲いているところを見てみたいです」
「遠くから見ると、桜色の雲のように綺麗ですよ」
「それは楽しみです」
　鮮やかに咲く桜の下で、もうこの世界の何処にも居ない誰かは、きっと自分達が来るのを微笑みながら待っていてくれるだろう。

　ナナリーは枢木神社を後にしながら、想う。
　世界を愛する事は、喪われた誰かを愛する事に似ている。彼が壊し、作った世界は優しく残酷でほんの少し嘘つきだ。
　だから、誰かを愛するように、世界を愛していこう。
　顔を上げて、振り向かずに、前へ進もう。
　この世界で生きていく。
　兄が遺してくれた明日を信じて。

（2008.12.12）

相変わらず、まとまってない上に、オチはないです。
本当はちゃんとお墓は作られていると思いますが、ナナリーとスザクが二人だけでルルーシュを悼むというのがやりたくて、こんな次第。コーネリアの話が先にあったんですが、この話以上に全然スザルル寄りにもならない、自分どんだけルルーシュ好きなんだみたいな（私が）痛々しい話になりそうだったので、さくっと割愛しました。
スザナナっぽいと思わせておいて、基本はスザルルです。欠片もそれっぽくないですが、一応根底それのつもりです（苦笑）。

お粗末さまでしたｖ 窓を閉じて下さい お粗末さまでしたｖ

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