夏休み

　新一は空調のきいた父親の書斎で、資料を調べていた。
「しんいちー、あーそーぼー」
　ノックもなしに書斎の扉が開くと同時に、声と身体が飛び込んできた。
「…どうやって家に入った？」
　新一は満面の笑顔の相手を、じろりと睨みつけた。
「勿論、鍵を開けて、玄関から」
　当然のように胸を張っているが、合い鍵を渡している訳でもないのに、鍵のかかった扉を住人の許可なく開けて、邸内に入るのは間違いなく不法侵入だろう。正確には、許可なく敷地内に入った時点で、警察を呼ばれても文句は言えない。
　新一の非難を込めた眼差しを鉄壁の笑顔で跳ね返し、不法侵入者、黒羽快斗はたたみかけた。
「なあなあ、新一、遊びに行こ？」
　快斗は無邪気な笑みで、可愛いらしく小首を傾げる。
　新一は溜め息をついて、資料に視線を戻し、素っ気ない声で応えた。
「行かない」
「えー」
　新一の返事に、快斗は思い切り口を尖らせた。
「折角、夏休みが始まったんだ。家の中にこもってないで、外で遊ぼうぜ」
「今日は、前から資料整理をするって決めていたんだよ」
「そんなのいつだって出来るじゃん！」
「オレにだって予定があるんだよ！　ったく、お前といい、服部といい、アポぐらい取れよなっ」
「服部？　西の名探偵がどうしたって？」
　一瞬、快斗の周囲の空気が冷え込んだが、新一は資料に気を取られ気付かなかった。
「ああ、服部の奴、友達を連れてコッチに来るらしいんだが、ついでに付き合えって」
「･･････今日？」
「今日はダメだって言ったら、なら明日だってよ」
「ふーん、どこに付き合うんだ？」
「海」
「海!?　何だって、そんな場所に！」
「夏だからだろ」
　快斗の憤慨など気にもせず、新一は資料を漁っている。
「新一も行くのか？」
「ああ、明日なら予定はないし、それこそ折角の夏休みだからな。海ぐらい行っといても悪くないだろ」
　資料から顔を上げ、新一は当然のように言った。
「お前も行くか？　別に一人ぐらい増えたって問題ないぞ」
「行かない」
　快斗は思い切り首を横に振った。
　誰が好き好んで、そんなデンジャラスゾーンに行きたがるものか。快斗が見るのも嫌な生命体の棲息領域ではないか！
　これはもう、快斗を遠ざけようとする西の探偵の陰謀に違いない。しかし、そんな事には、新一はこれっぽっちも気づいていない。勿論、快斗はそれが自分の被害妄想である事に、これっぽっちも気づいていない。
　何より、快斗の好き嫌いを知っている筈なのに、それに新一が無関心、無頓着なのが恨めしい。そこが新一の新一たる所以なのかもしれないのだが。
「快斗？」
「帰る」
「おう、じゃあな」
　資料に夢中の新一は、去り際の快斗の瞳が不穏な光を帯びている事に、全く気づいていなかった。

　ベランダに怪盗キッドが降り立ったのは、深夜も近い頃だった。神出鬼没の彼の前では、どんな鍵も無力だった。窓は易々と開き、白い怪盗を部屋へ招き入れた。
　新一はベッドでぐっすりと眠っている。キッドは近くのテーブルに優雅にシルクハットと片眼鏡、手袋を置き、白のマントとジャケットを椅子にかけた。
　新一の部屋にただ忍び込むだけなら、黒羽快斗の姿でも良かったのだが、今夜の最大の目的は盗みである。仕事である以上、怪盗キッドの正装をするのが、快斗にとっての最低限のルールであり、マナーだった。
　ベッドの端に腰掛け、キッドはネクタイを緩めながら、熟睡中の新一を覗き込んだ。
「こんばんは、名探偵」
　静かに囁き、そのまま唇を重ねる。
「ん？･･･かい･･･と･･･？」
　眠そうな瞳が僅かに開いて、キッドを映す。もう一度、軽い音を立てて口づける。睡魔の方が勝っているのだろう。新一からの抵抗はほとんどない。
「･･･っ･･･んだよ･･･？･･･そんな格好で･･･こんな･･･夜中に･･･」
「勿論、お仕事をしに」
「？」
　新一に覆い被さり、唇と唇が触れ合う寸前で言葉を交わす。眠気に煙る新一の瞳が、それでも、ちゃんと自分を映している事に快斗は満足する。新一の額や頬に軽い口づけを降らせながら、その耳許に甘く囁いた。
「名探偵の〝海〟を盗みに来たんだ」
「･･･え？･･･んうっ」
　新一の疑問をキスで飲み込み、吐息を奪い、甘く舌を絡めた。
　結局、その夜、新一は寝惚けて訳が分からないまま、巧みなキスと淫らな術中にはまり、ろくな抵抗も出来ずに快斗を受け入れさせられた。
　夜の終わりを忘れたかのように、快斗は新一を貪り尽くした。

　朝の光に眼を覚まして、新一は起き上がろうとして、目的を果たせなかった。
「～～～」
　ベッドの中で動けないでいると、扉が開いて、元凶が顔を出した。
「あ、新一、起きたんだ。おはよー」
　元凶はおたまを片手に、何故かフリルがたっぷりついたピンクのエプロンドレスを身に着けていた。
「･･･何だ、その格好は、快斗」
「え、おさんどんに決まってんじゃん。新一、動けないだろ？」
　正確には、腰が立たない。快斗の意味深な笑みと、自分の身体の状態に夕べの自分の痴態を思い出し、新一は真っ赤になって顔を伏せた。
「てめ、一体どういうつもりだ」
　身体に響く為に大声が出せないので迫力はないが、新一は怒気を露に快斗を睨みつけた。しかし、全く気にもせずに、快斗は電話の子機を差し出した。
「何だよ？」
「今、朝ごはん作るけど、その前に、〝今日は行けない〟って電話した方がいいんじゃない？　西の名探偵にさ」
　快斗の言葉に、今日は服部と海に行く約束をした日だったと新一も思い出す。
「･･････そういう事かよ」
「えー、何の事？」
　快斗は可愛らしくとぼけてみせる。
　昨夜のおかげで、腰が立たないだけでなく、快斗が付けた無数のキスマークが新一の身体中に付いていた。とても、人前で水着姿になれるわけがない。
「快斗」
「なになに？」
　動けない新一に人差し指で招かれて、快斗がベッドの端に座って顔を覗き込む。
「いっぺん、死んどけ」
　新一の拳が、エプロンドレスの快斗の顔面にヒットした。

　窓の外では、入道雲が湧いている青い空の下で、木にとまったセミが長い長い夏休みの始まりを、うるさく鳴いて告げていた。

（2006.08.11初出　2010.05.30再掲）

「看板に偽りあり」という、コピー本からの再録。2006年、刻の涙が見えそうな一品。
それまで、コナンでカプを書く気がなかったもので、初のカプ本でありました。何だかカプを書くんだー！と頑張った覚えが。
その頑張りが見事に空回った感じの、微妙なデキです。
新一に清潔なかほりは微塵もなく、快斗もまだ自分的に固まっていない感じ。
一応、サイトに上げるにあたって、大した事なかったけどエロシーンは削除しました（苦笑）。

窓を閉じて下さい

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