1919　チューリッヒ

「ちょっと付き合ってください」

　父親を名乗る変な生き物に連れられて、ウルはスイスのチューリッヒに墓参りに来ていた。何か用を思い出したらしく、父親から先に行っていろと言われ、素直に従って来たものの、該当する墓の前には先客がいた。
　大樹に守られるように、ぽつんと一つある墓の前には女が一人立っていた。
　蒼いリボンが印象的な清楚な18、9歳ぐらいの少女だった。

「やあ、いい天気だな」

　声をかけると、少女は顔を上げ、ウルに会釈を返した。

「あんたは、この墓の人の知り合いかい？　オレはオヤジに言われて来たんだけど、ここに葬られているのは誰なんだ？　何にも聞いてなくてさ」

　初対面なのに無遠慮なウルに、少女は困ったように笑って、再び墓石に視線を戻した。

「ここに眠っているのは、ずるい女の人よ」
「へ？」
「恋人を残して、死んでしまったずるい女」
「あ、そうなんだ。何で死んじゃったの、この人？」
「恋人を庇って。死ぬ筈だった恋人の身代わりに死んだの」
「え、じゃあ、いい人じゃん」

　少女はゆっくりと首を振った。

「この人は、恋人が死ぬのが耐えられなかったの。だから、自分が身代わりになって死んだ。ひどい話よね。自分を喪ったら、今度は残された恋人が絶望の淵を彷徨い、苦しむのが分かっていたのに。自分の身代わりになって死んだ恋人を想って、同じように、いえ、それ以上に嘆き悲しむのに」
「それでも、そいつに生きていてもらいたかったんだろう、この人は。自分が代わりになって死ぬなんて、そうそう出来る事じゃないよ」

　何故か、ウルは知らない少女を相手に会った事もない死者を弁護していた。少女は淋しい笑顔を見せた。

「優しいんだね」
「え？　い、いやぁ、そんな事ないよ」
「そう、生きていて欲しかったの」
「ああ？」
「この人は、恋人にただ、ただ生きていて欲しかった。笑顔を見ていたかった。あの人は、独りで苦しみながら生きてきた人だったから、いっぱい生きて、いっぱい幸せになって欲しかったの」
「ふ、ふうん？」

　少女は優しい眼差しをウルに向けた。どこか懐かしさを感じるのは、きっと気の所為だろう。

「あなたは、今、幸せ？」
「幸せかどうかってのはよく分からないけど、でも、オヤジと二人で楽しくやってるぜ」
「そう」

　ウルの言葉に頷くと、少女は青い空を見上げ、風に耳を澄ますように瞳を閉じた。少女の静かな声が祈りのように、謳うように世界に広がる。

「もしかしたら、あなたのこれから先の人生には、死にたくなる理由がたくさんあるかもしれないわ。生きていたい理由なんて何一つないかもしれない。それでも、生きて。命ある限り、生きる事を諦めないで。生きて、生きて、生きて、生き抜いて」

　それが、この世に生まれてきたものの義務だ。

　少女の真剣な声にウルは戸惑った。
　ウルの記憶は1年ほど前からしかない。それ以前の記憶は失われ、自分が何を感じ、何を思い、どんな風に生きてきたか、何一つ自分の中には残っていなかった。
　父と名乗る変な生き物と、それなりに楽しく暮らしてはいるが、その父親はウルの過去について何も語らない。だから、もしかしたら、ウルはとんでもない悪人だったのかもしれない。

「でも、オレにはそんな風に生きる価値がないかもしれないぜ？」
「価値があるから生きるのではないわ。生きるという事、そのものに価値があるの」

　全ての記憶を失い、恐らく、自分はもう昔のウルムナフとは違う人間なのだろう。それでも、目の前の少女は優しく微笑む。

「たとえ、何一つ覚えていなくても、貴方は貴方。貴方以外の何者でもない。貴方の経験した全て、貴方の成した事全てが消えてなくなるわけではない。他の人達にとって、貴方との出会いがなかった事にはならないわ。世界が変わろうと、時代が変わろうと、それだけは変わらない。だから、胸を張って、前を向いて、生きていけばいいのよ」

　少女は墓石に向き直り、苔生した石を撫でた。その小さな背中は儚くて、今にも消えてしまいそうに見えた。ウルは少女にかける言葉を見つけられずに、立ち尽くす。

「そうだ。伝言を頼まれていたの。ねえ、もしも、あなたがこの人の恋人に会う事が会ったら、伝えてあげて」
「え？」
「“愛してる”は、もう伝えてるね。だから、“一緒に生きられなくて、ごめんなさい”って」
「でも、オレ、その恋人の野郎って知らないぜ」
「会えば、分かるわ」
「そんなに特徴的なの？　もしかして、すっげー変な顔とか？」
「さあ、どうかしら。“ああ”って言うのが口癖なのよ」

　少女の悪戯っぽい笑みが弾けた。



「こらー、ウル！　何してるんですか、アナタは！」

　独特の甲高い声の怒号に、ウルは目を覚ました。
　墓の横の大樹の陰で寝入っていたらしい。

「まーったく、掃除をしとけと言ったでしょー。なのに、寝てるとは何事ですかーっ！」
「え？　あれ？　悪い悪い」
「その顔は、ちっとも悪いと思ってなーい！」
「そんな事ないって。掃除すりゃいいんだろ、そーじ」

　怒り狂っている父親を軽くかわして起き上がると、ウルは墓の周りに落ちている葉を集め始めた。
　ふと、少女の零れるような笑い声が聞こえた気がした。

「なあ、ここに誰かいなかったか？」
「私とアナタ以外に、誰もいませんよ」
「そうか」

　首を傾げるウルに、ロジャーは怪訝そうな顔をした。

「どうかしましたか？」
「いや、何か、誰かがいたような･･･」
「誰かとは？」
「･･･そうだなぁ、何つーか、綺麗なオネエチャン？」
「またバカな事を言って。夢でも見たのでしょう。ほら、手を動かす」
「ああ」

　ウルは掃除をしながら、改めて墓碑銘を見た。生年と没年が刻まれている。随分と若くして亡くなったらしい。

「“アリス・エリオット”。なあ、この人、誰なの？」
「私の友人です。とても、優秀なシスターでした」
「ふうん。ところで、何か文字が苔で読めない所があるけど、いいのか？」
「それはいいんです。そのままにしといて下さい」
「ああ、分かった」

　奇妙な親子連れは、綺麗に墓を掃除して花を供えて帰っていった。「また来る」との言葉を残して。
　聖なる少女の眠りを守る穏やかな静寂が再び訪れる。
　今はもういない少女の墓に刻まれた文字は苔に隠され、記憶を失った青年が知る事はないだろう。

“アリス・エリオットよ、安らかなれ。その魂に愛を捧げ、生きることを誓う。ウルムナフ”

　静かな風に葉を揺らす大樹だけが、遠く置き去りにされた永遠を知っていた。

（2005.10.25）

すみません、すみません。公式設定にケンカを売る気は毛頭ございません第２弾<(_ _；)>
「1915ウェールズ」と同じくししゃもどん的誤解曲解解釈ネタPart2です。SH２に関して言えば、どちらかというとBADエンドの方が好きだったので、こんな次第であります。またもや夢オチでごめんなさい。
※同じく新世界版は未プレイなので、何か違ったら大目に見てください（滝汗）。
お粗末さまでしたｖ 窓を閉めてください お粗末さまでしたｖ

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