狼の居場所

　一面の紅葉だった。
　色と言えば、紅の一色で、それ以外の色全てが異物に違いなかった。
　秋風に揺られて、紅葉がひらりひらりと落ちてくる。

　あとから　あとから　あとから　あとから

　無数の葉が舞い落ちて、アーバインの周囲に踊る。
　上も下も右も左も。
　逃れられない紅に囲まれて、閉じ込められる。
　多分、それがアーバインの世界だ。

　一面の紅
　村を　街を　人を　ゾイドを
　焼き尽くした　紅蓮の焔
　累々と横たわる屍と紅き血の海

　過去の風景か、未来の情景か。
　惑わされて、よろめいた。

「どうした、アーバイン？」

　傾いだ身体を受け止める手と、かけられた声に現実を取り戻す。首をめぐらせて相手を確認すれば、心配そうに覗き込んでくる翡翠の瞳とぶつかった。

「シュバルツ」
「大丈夫か？　顔色が悪いぞ」
「慣れない事をしてるからだよ」

　肩を竦めて、アーバインはシュバルツの手から身体を起こした。
　慣れない事。
　穏やかな空の下、豊かな自然を満喫する為のピクニック。賞金稼ぎのやる事ではなかった。
　アーバイン達のいる森を抜けた反対側に湖が広がっている。その畔では、フィーネの元気な声が聞こえていた。
　湖の畔に折り畳み式のテーブルを据え、テーブルクロスを広げた上に並べられた皿が見える。バンとトーマ、現皇帝であるルドルフが彼女の指示に従い、甲斐甲斐しく動き回っていた。

　爽やかな秋晴れの日に、フィーネの提案で、公務に追われがちなルドルフに息抜きをさせることになったのだ。
　お忍びでのピクニックという選択肢はルドルフの希望だった。勿論、皇帝領とはいえ、護衛は不可欠だ。だが、強面のシークレットサービスでは折角の行楽気分も台無しである。そこで、ルドルフと同じように公務に追われ、有給休暇を消化できていないシュバルツも護衛の名目で同行することになった。
　たまたま近くにいたアーバインも某大佐の密告により発見され、バンとフィーネ、ルドルフのお願い攻撃により、柄にもないピクニック参加となったのである。

　ピクニック目的地である湖の周囲は森に囲まれ、鮮やかな紅葉が訪れる人々の眼を楽しませていた。
　なのに、アーバインは季節に映える紅に争いと流血を連想していたのだ。賞金稼ぎという生き物の、いや自分という人間の醜悪さを嘲笑う。
　穏やかな日の光の下で、はしゃいでいるバン達を森の木々の間から遠く見て、世界の違いを実感する。
　帝国と共和国の戦争は終わり、破滅の魔獣による世界の危機も回避された。アーバインがバン達と共にいる理由は既にどこにもない。

「潮時かもしれねえなぁ」

　生命溢れる豊穣な大地を離れる時期なのかもしれない。道果てる不毛の砂漠こそが生きるべき場所だと、胸の奥の最も昏い場所に棲むもう一人の自分が囁く。
　見慣れない穏やかな風景が物珍しくて、つい飽きずに眺めて、長居をしてしまった。妹を喪ってから見る事のなかった優しい風景。もう十分楽しんだ。
　アーバインの基準からすれば、その風景の住人であるシュバルツが怪訝な表情を浮かべている。

「アーバイン？」
「何でもねえよ。ほら、戻ろうぜ」

　有能なる指揮官には見透かされそうで、苦笑して背中を向けた。
　けれど。
　湖に向かって歩き出そうと、向けた背中を許されず、アーバインは強引に肩を引かれた。何の言葉もなく、力任せに振り向かされて、そのまま優美な唇が自分のそれに重なってきた。抗議をする間も抵抗する間もなかった。
　場所を弁えない帝国軍大佐の身体を必死に押しのけようとするが、もみ合いながら逆に木の影に連れ込まれた。背後の大木の幹に身体を押し付けられ、逃れられない。
　幹にぶつかった振動で、更なる紅葉が降り注ぐ。

「･･････っ･･････」

　包み込むように、それでいて逃さぬように両頬に添えられた手はアーバインが顔を背ける事を許さなかった。
　勢いに流され、熱さに眩む。
　執拗な熱に誘われて、思考を止める毒に促され、気づけば重ねた吐息に応えていた。
　アーバインの唇を味わいながら、シュバルツが少しだけ顔を離した。両手はそのままアーバインを離さない。
　まるで戦場のように視線を戦わせ、唇が触れ合う距離で言葉を交わした。

「見られたら、どうすんだよ」
「心配するな。木の影だ。バン達には見えない」

　風に吹かれて、紅葉が舞った。
　懲りない男は再びアーバインの唇を塞いだ。
　無駄な抵抗を諦めて、閉じた瞼に木漏れ日を感じる。
　清涼な風が髪を揺らす。
　侵蝕する熱に流される。
　息をつく合間に重ねた唇が囁いた。

「何を見ていた？」

　一面の紅を。

「別に、何も見てないぜ」

　荒廃を見ていた。
　流血を見ていた。
　懐かしい自分の世界を見ていた。
　ただそれだけだった。

「私を見ろ。アーバイン」

　耳朶を咬むように囁いてくる。木とシュバルツとによって世界から隠されて、甘い口づけが繰り返される。

「私だけを見ていろ」

　シュバルツの唇が徐々に位置を変えて顎のラインを辿り、首筋をくすぐる。思わず零れた自分の小さな声に、我に返る。

「！　ち、ちょっと待て！　何してやがる!!」

　繊細な手が服の中に忍び込もうとしていた。慌てて腕を掴んだが、シュバルツは当然の顔をして、木の幹にアーバインを押し付けたまま離れようとしない。

「おい、離れろよ。どけ」
「つれない事を言うな。紅葉狩りはお前の気に入らなかったようだからな。折角だから、きのこ狩りでもしようかと思っているのだが、どうだ？」
「ナニ言ってやがる！」

　気品溢れる貴公子然とした容貌を裏切り、滑らかに口から出た科白と不埒な手の動きに、アーバインの方が赤面して怒鳴りつける。その間にも、躊躇う事なく足の間に膝頭を割り込ませ、幹に預けるように身体を密着させる事で、シュバルツはアーバインの抵抗を封じ込めた。そして、拒絶と抗議の言葉は重ねられた唇に飲み込まれた。
　ほんの数十メートル先の明るい陽の下にはバン達がいる。木の影とはいえ、そんないつ誰に見られるか分からない状況で、いつまでも流されているわけにはいかない。

「だめだ、シュバルツっ、やめろ」

　必死に抗い、嫌がる様が相手の欲を直接的に刺激している事など、アーバインは毛の先ほども考えない。

「･･････あ･･････」

　すぐ近くにバン達がいるのに、シュバルツは容赦なくアーバインの熱を探してくる。
　紅葉が緩やかに舞い落ちて、二人だけの静謐の狂気を演出する。
　シュバルツの唇から逃れようと、精一杯身体をひねった。反らされた咽喉元に優美な唇が吸い付いた。

「････････････や･･････」

　逃れられない紅に囲まれて、シュバルツに閉じ込められる。
　必死に自分を繋ぎ止めようとして、そして、眼が合った。
　真っ赤な瞳は高性能のカメラアイだ。いつから見ていたのかレンズはアーバインを捉えて、機械音声が愛嬌のある人懐っこい鳴き声をあげる。

「ジ、ジーク!?」

　ようやく存在を気づいてもらえたオーガイノドは機嫌よく一声吼えて、巨大な尻尾を打ち鳴らすように左右に振った。どうやら食事の用意が出来たので呼びに来たらしい。　
　ジークの出現に一瞬、気を取られたシュバルツの隙を見逃すアーバインではなかった。緩んだ拘束に、すばやく木とシュバルツとの間から逃げ出した。逃げ出しながら、乱された衣服を直す。

「アーバイン」
「呼びに来てくれたのか。ありがとな、ジーク」
「おい、アーバイン」
「先に行ってるぜ、シュバルツ」

　抱きつく勢いでジークに近づき、そして、シュバルツを振り返りもせずに、アーバインはジークを連れて歩き出した。
　そんな一人と一体の後姿を、怜悧な翡翠の双眸が諦めて見送った。

「あそこまでやって、逃げられるとは私もまだまだだな」

　一人残された帝国軍大佐の反省の滲んだ独り言を聞く者はいない。

「やはり、精進あるのみという事か。勿論、実地訓練でな」

　決意を込めた不敵な笑みが優雅な口元を鮮やかに彩った。
　その日の夜だけと言わず、近い将来多岐に渡って、アーバインはその向上心に燃えた呟きの意味を身をもって知る事になる。
　勿論、嫌というほど。



　森を抜けて、遮る物のない太陽の下へ出る。
　水面がさざめいて煌いている湖を背景に、バンが、フィーネが、トーマが、ルドルフが、世界が笑っている。
　楽しそうに。
　幸せそうに。
　アーバインの横を歩いていたオーガノイドが、独特の機械音声で森の中で何をしていたのか聞いてきた。
　
「紅葉を、いや、この綺麗な風景を見てただけさ」

　アーバインはまだ残る唇の熱を拭いながら、自分が目撃していた状況を分かっていない無邪気なオーガノイドの頭を苦笑して軽く叩いた。
　争いの終わった優しい光に溢れている世界を、アーバインは眼を細めて眺めやる。

「もう少しだけ、此処にいるのも悪くないかもな」

　意味が分かっているのかいないのか、応えてジークが嬉しそうに一声鳴いた。
(2003.10.05UP)

たまには、お笑い物ではなくて、可愛い話をと思って書き始めたのですが、やはり私の書く物ですから（苦笑）。可愛くなりようがなかったですね（爆笑）。
一応、今話題（笑）の「紅葉狩り」をテーマにしてみたのですが、如何せん、ワタクシ「紅葉狩り」と聞いて連想するのが、鬼無里村の紅葉の話だったりするので、もう推して知るべし。全てはひねくれ者のなせる業とお諦め下され(￣▽￣；)ゞ。
でも、ちょっとだけシュバ兄とアーさんをいちゃつかせられたから、是としましょう。･･･ダメ？
お粗末さまでしたｖ 窓を閉じて下さい お粗末さまでしたｖ

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