Purgatory0

　逆巻く炎が、新一とキッドの間に壁を築いた。
「キッド！」
　叫ぶ新一に、激しく燃える炎の向こう側でキッドは穏やかに笑った。
「ここまでだ、名探偵。これから先はオレの仕事だ。オレが決着をつけなきゃいけない事なんだ。だから、お前はもう帰れ」
「そんな事、出来るわけないだろう！」
「そう言うと思った。だから、名探偵には知られたくなかったんだよ」
　二人の間を隔てる炎は勢いを増していく。防火処理を施しているのだろう、キッドの白いマントが熱気に揺れている。
「待ってろ、今そっちに行く」
「来るな。死ぬかもしれないぞ」
「お前は死ぬ気なのか、怪盗キッド！」
　キッドは口元に静かな笑みを刷いて、答えない。
「名探偵、面白かったぜ」
　炎に焼かれ、熱に溶かされ、天井の一部が崩れ落ちてくる。
「楽しかったぜ」
　まるで、最後の挨拶のように、キッドは優雅にシルクハットに手をかけて会釈をした。
「ありがとな」
　白いマントを翻し、キッドは新一に背中を向けるともう振り返る事もなく走り出した。背後のドアから部屋を出ていく。
「キッド！」
　新一が伸ばした手の先で、崩落した瓦礫と炎が行く道を塞ぐ。炎に追われて、新一も自分の背後のドアから通路へ飛び出した。爆発音が響き、あちこちから火の手が上がっている。このままでは、ビルそのものも崩壊するかもしれない。
　このビルに突入する前に頭に叩き込んだ、ビルの構造図を猛スピードで検索する。
　組織のボスが向かったのは、恐らく屋上のヘリポート。キッドが選んだルート以外で、その場所に辿り着く為には･･･。
　自分の行く道を見つけて、新一もまた走り出す。
「勝手な事を言いやがって」
　走りながら、キッドが見せた最後の笑みが脳裏を過ぎる。
　あの笑顔を知っている。
　死を覚悟した人間が見せる、諦めと淋しさの入り交じった綺麗で哀しい笑顔。

　黒ずくめの組織に利用され、無惨に殺された優しい人がいた。
　家族を殺された憎しみに突き動かされその手を他人の血で染めながら、自分の復讐を止めてもらいたかった哀しい人がいた。

　その時は小学生の姿をしていた新一に、あるいは願いを託し、あるいは感謝を告げて、彼らは静かに微笑みながら死んでいった。
　キッドの見せた笑顔は、彼らと重なった。
「そんなの、絶対に許さねえ！」
　あの時は自分の手はあまりにも小さすぎて、優しい人を守る事も出来ず、炎の壁に阻まれて哀しい人を助ける事も出来なかった。
　けれど、もうあの時とは違う。自分は元の姿を取り戻した。この手は無力なだけではない筈だ。
　新一は怪盗に追いつくべく、全力で走った。


（2008.05.04初出　2021.04.29再掲）

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