Blind　Target
3

　難なく正体を言い当てられた快斗は、持ってきたお見舞品をサイドテーブルに置いて、丸椅子に腰掛けた。コナンが視力を失っているのは調査済みで、少々無用心かなと思いながらも、学生服の快斗は素顔のままだった。勿論、首からかけている面会者証は予め用意してきた偽物で、病院の受付を通らずにコナンの病室まで来ていた。
「それで、何しに来たんだよ」
　不機嫌を露に、ベッドの上のコナンが重ねて訊いてくる。
「勿論、怪我をした勇敢なる名探偵を心配して、心ばかりの品を手にご機嫌伺いに参上した次第」
　怪盗キッドの気障な言い回しでふざけながら、快斗は持ってきた包みを開いた。たとえ、見えないと分かっていても、箱の中身をよく見えるように探偵に向けて傾けた。
「レモンパイなど如何ですか、名探偵？」
「いらねえ」
「えー、そんな事いうなよー。折角持ってきたんだからさー」
　快斗は素に戻って、つれない探偵に口を尖らした。
「ここの店のは美味いんだぜ？　限定品で並ばなきゃ買えない人気商品なんだぞ。ほら、オレが食べさせてやっから、アーンしろよ」
「ナースコールを押して、人を呼ばれてーか、変質者？」
「ふふん、甘いな、名探偵。枕元のナースコールと携帯は、既にオレの手元にある」
「てめ･･･」
　小さな手が先程まで携帯とナースコールがあった位置を彷徨うのを見て、快斗は包帯が飾りではなく、コナンが本当に視力を失っていると実感した。
「･･････その、悪かったな。お前に怪我をさせるつもりはなかったんだ」
　急にしおらしくなった快斗の声に、逆に戸惑ったようにコナンは身体を起こした。包帯の巻かれた顔が快斗に向けられる。
「･･･別に、これはお前の所為じゃねーよ。オレが勝手にドジっただけだ。それに、オレを病院に運んだの、オメーだろ、怪盗キッド。それに関しては感謝してる」
「じゃあ、そういう事で、アーンして」
「おい」
　快斗はあっさりと気分を切り替えた。さくさくと切り分けて、プラスチックのフォークに刺した一口サイズのレモンパイをコナンの見えない目の前に差し出した。いつもは怪盗に負けず劣らず行動力に満ち溢れている探偵が、今は自分からは動けない状況下にある。不謹慎だが、少し楽しくなってきた。
「言う事きいてくれないと、イタズラしちゃおっかな〜。あーんな事、こーんな事、しちゃおっかな〜。あ、そっちの方が楽しいかな？」
　快斗の嬉々とした不穏な発言に、コナンが不安そうに押し黙る。快斗は必死に笑いを堪えた。
「本当にこのレモンパイ、美味いからさ。評判の店なんだ。味見してみろって。ほら、口開けて」
　イタズラされるよりはマシと思ったのか、渋々とコナンが口を開ける。快斗は零れないように気をつけながら、レモンパイをコナンの口に運んでやった。
「どう？　美味いだろ？」
　爽やかな甘さが口の中に広がっているのだろう。咀嚼しながら、コナンが頷いた。その様子に快斗も嬉しくなる。
「じゃあ、順番にな。ほい、アーンして」
　自分の分も交互に口に運びながら、快斗とコナンはレモンパイを堪能した。

　追う者と追われる者。本来は敵同士の二人の、奇妙な時間が流れる。

　快斗はレモンパイを食べ終わった後、自分の痕跡を残さないようにゴミを全て回収して、カバンに入れた。それが怪盗キッドである、自分の正体を守る為に必要不可欠であると知っていた。
　音で快斗の作業が分かったのか、コナンが口を開いた。
「あの時、お前がオレの頭の傷を止血するんで使った布は捨てたぜ」
「そうか。サンキュ」
　探偵の血を見た時、マントを包帯代わりに使う危険性に気づいてないわけではなった。自分の持ち物を残すのは、犯罪者としてはあり得ない、最も忌避すべき行為である。分かってはいたけれど、他に適当な物がなかった。あの時は、何より探偵の血を止める事を最優先にしたのだった。
　負けず嫌いの探偵は、やっぱり自分と同じくらいお人好しで、怪盗キッドの正体を探る手がかりになるかもしれない、遺留品を処分しておいてくれた。
　コナンは顔を背けて、不貞腐れたように言った。
「お前は現場で捕まえる」
「勿論、分かってるさ」
　偶然手に入れた証拠品で、怪盗キッドを捕まえる事を是としない。探偵の、その清廉な潔さに敬服する。
　怪盗キッドの正体は誰にも知られてはいけない。けれど、ふと、視力を失った探偵の前で、危険な悪戯心が芽生えた。
「なあ、名探偵、ちょっと手に触るぜ」
　眼が見えないという事は、それだけで充分な恐怖である。驚かせないように、断りを入れてから、快斗はコナンの右手を取った。
「キッド？」
　戸惑うコナンにかまわず、快斗は探偵の手を自分の頬に触れさせた。小さな手に自分の頬を擦り付ける。
「これが、オレの素顔だよ」
「･････････」
「誰も知らない怪盗キッドの素顔だ」
　快斗の手が離れても、コナンの手は快斗の頬から離れなかった。左手も添えられて、柔らかい小さな手が、ゆっくりと快斗の輪郭を辿る。
　造形を確かめるように、眉に触れ、瞼をなぞり、鼻筋を辿り、唇に触れた。
「探偵、く、ん？」
　コナンの両手が快斗の頬を挟むように添えられた。子供の体温の両手は温かかった。その温かい両手が、静寂を乱さぬようにそっと快斗の顔を引き寄せる。
　距離とも呼べない距離で、快斗の目の前にコナンの顔があった。
　白い包帯に隠され、今はその瞳を見る事は出来ない。でも、分かる。
　探偵の悪魔のように狡猾で全てを見通す強い双眸は、真直ぐに快斗を、怪盗キッドを見つめている。
　目の前にある、探偵の揺るぎない見えない視線と、レモンパイを食べたばかりの濡れた小さな唇に、快斗は思わず釘付けになる。
　その瞬間、

　ぎゅううううううううう

「いででででで！」
　小さな手に思いっきり頬を左右に引っ張られ、快斗は堪らずに顔を引っ込めた。
「何だ、本当に素顔かよ」
「ひ、ひでー。ひでーよ、名探偵」
　赤くなった頬を摩りながら、見えないだろうが、涙目で快斗は小さな悪魔を睨みつけた。
「何言ってんだ。眼が見えないからって、油断しすぎなんだよ、怪盗のくせに」
　ケッと言わんばかりにベッドの上でふんぞり返っているコナンの態度に、快斗は脱力した。
　怪我をしても、探偵はやっぱり酷い奴だった。探偵は、包帯に隠された双眸で真直ぐに快斗を見据えた。
「こんな怪我はすぐに治る。そうしたら、覚悟しとけよ、怪盗キッド。今度こそお前を冷たい監獄にぶち込んでやるぜ」
「残念ながら、麗しい姫君達との予定が詰まっているんで、当分スケジュールに空きはないんだ。ご期待には添えそうもないな。勿論、名探偵のお誘いなら、いつでも待ってるぜ」
　潮時を心得て、快斗はカバンを持って立ち上がる。そろそろ、あの可愛らしい探偵団の一行や保護者の高校生のお嬢さんが来る時間だ。
　ベッドの上の包帯を巻いた小さな探偵は痛々しくもあるが、それでも尚、揺るぎない強さがあった。危険だと知りながら、その強さを好ましく感じ、また惹かれている自分を、快斗は分かっていた。
「んじゃあ、お大事に〜」
　快斗は身体を屈めて、コナンの額に軽く唇で触れた。
「てめ！」
　一瞬、キョトンとしていたが、何をされたのか気づいて、探偵の顔が瞬時に真赤になった。小さな手が不埒な怪盗を殴ろうと振り上げられるが、勿論、笑いながら軽々とかわす。頬を引っ張られた意趣返しだ。
「またな、名探偵。早く怪我を治せよ」
　眼が見えない相手に手を振って、快斗は足取りも軽く病室を後にした。



　扉が閉まる音が聞えて、部屋の中に自分以外の人間の気配がなくなる。騒々しい見舞い客が帰り、コナンは大きく息を吐いた。流石に本調子ではないので、疲れを感じて、ベッドに横になった。
「ったく、変な気を遣いやがって。覚えてろよ」
　ぶつぶつと文句を言いながら、コナンは少し眠ろうと身体を丸める。手にはまだキッドの素顔の感触が残っていた。
　誰にも正体を知られてはいけない、怪盗の素顔。
　視力が失われているからこそ、彼は素顔でコナンの前に現れた。そうでなければ、彼が素顔を見せるなんてあり得ない。ふと、レモンパイの甘味と酸味を思い出した。
「覚悟しろよ。ぜってー捕まえて、化けの皮を剥がしてやるからな、怪盗キッド」
　指先で触れた怪盗の孤独に気づかないふりをして、拳を握り締める。握った拳にそっと唇を寄せて、コナンは緩やかな眠りについた。

（2007.09.30初出　2010.05.05再掲）

　2

確か、目隠しをして、怪盗の顔に触る探偵萌えーとか思って、そんなシチュを書きたくて出来た話。何となく、江戸川と快斗の雰囲気が好きな話になりました。
結局、快斗は不憫系、江戸川は漢前系になってしまったような（笑）。
医学系のツッコミはスルーでお願いします。萌えの為には、道理は引っ込む！

お粗末さまでしたｖ 窓を閉じて下さい お粗末さまでしたｖ

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