天に祈りを17

天に祈りを
17

「起きていたのか」
「今、起きたんだよ。言っとくが、いくらお前が気配を消すのがうまくても、オレだってそんなに鈍くはないんだからな」
　工藤がベッドの上に起き上がり、ベッドサイドの明かりをつけた。工藤の瞳が再びまじまじとキッドを見つめた。
「お前、どっか怪我でもしてるのか？」
「え？　いや、どこも怪我なんてしてないぜ」
「そうか？」
「何で、そんな事を言うんだ、名探偵？」
「痛そうな顔をしてたからさ」
「オレが？」
「お前が」
「そっか」
　名探偵には敵わないと、キッドはベッドの端に腰を下ろした。咎められるかと思ったが、工藤は何も言わなかった。
「どうしたんだ、キッド。お前、今日はホントに何か変だぞ？」
「訊きたいことがあってさ」
「何だ？」
「名探偵、この前の事件の時、あの秘書の人に言ったよな」
「何を？」
「人を殺すなってさ」
「･･･ああ」

「家族を殺された人間が、復讐を考えるのは悪か？」

　快斗は白い手袋に包まれた自分の手を見た。今のこの姿、シルクハットに白いスーツ、白いマント、手袋、これらは全て父の模倣である。殺された父の無念を晴らすために、父の姿を借りているだけに過ぎない。全ての発端である、魔性の宝石パンドラを砕く事に今は全力を傾けているが、もしも、父を殺すよう命じた組織のボスを実際に目の前にした時、殺意が沸かないとも限らない。その時、快斗は自分が殺人衝動を抑えられるかの自信はなかった。
　唐突なキッドの問いかけに、真意を測りかねている工藤の視線が自分の横顔に注がれているのが分かった。
　言葉を選ぶように時間をかけて、工藤の答えが返ってきた。
「その、復讐がどんな内容かにもよるな。家族の仇を討つ＝相手の殺害に通じるなら、オレはそれを全力で止める」
「やっぱり、名探偵にとっては、悪か」
「･･･正確に言うと、ちょっと違う」
「どういう意味だ？」
「オレは、今まで家族を殺されて、その復讐に犯人を殺してしまった人を何人も、何十人も見てきた。全部の人がそうとは言い切れないけど、大抵家族の仇を、憎い犯人を殺しても、殺した人達はもっと苦しそうな顔をしていた。家族を殺した犯人が憎くて憎くてたまらなくて、けれど、自分の憎しみのままに相手を殺しても、逆にもっとつらそうだった。少しも楽になったようには見えなかった。オレが出会った復讐で殺人を犯す人達は皆、優しい人達だった」
「そうか」
「だから、本当に全員がそうだとは限らないけど、犯人を殺したいほど憎んでいる人は、きっと同じくらいの強さで赦したいと思っているんじゃないのかと、オレは勝手に思っている」
「･･･犯人を？」
「犯人もそうだけど、多分、自分自身も」
　快斗は顔を上げて、工藤を見た。工藤は困ったように頭を掻いた。
「家族を殺されて、復讐に駆り立てられる人達って、大抵、その当時の状況や犯人を知らない場合が多いんだ。後から、犯人を知って、何て言うのか、きっと、すぐに真実に気づかなかった自分自身も許せなくなっているんだと思う。優しい彼らが本当に望んでいるのは、犯人の殺害ではないんだと、オレは信じてる。だから、これ以上、遺族を苦しめないためにも、復讐として犯人を殺害しようとする人がいたら、オレは止めるよ」
　真っ直ぐに工藤はキッドを見つめている。彼は快斗の事情など知らない。何かしら勘づいているかも知れないけれど、それは多分関係ない。
　工藤新一の工藤新一たる所以が、彼の語るところなのだ。
　探偵の全てを見透かす、真っ直ぐな双眸が怪盗キッドを映している。迷いなく、怯むことなく、正義と真実を映す鏡がそこにある。
　彼こそが、同級生に光の魔人と言わしめた工藤新一なのだと、妙に納得した。
「キ、キッド？」
　狼狽えたような工藤の声に、快斗は自分がいつの間にか彼の頬に手を添えていた事に気づいた。胸に迫り上げてくる感情の名前を知っている。
「工藤」
　それは、愛しいと同義だ。吐息が触れ合いそうな至近距離で囁いた。
「な、何だよ？」
「キスしても、いい？」
　前に触れた時は、無理矢理に奪ったものだった。けれど、今はそんな事をしたくなかった。殴られる覚悟で告げた囁きに、工藤の顔は一瞬で真っ赤になった。
「な、何で、んな事･･･」
「今、すっげー、工藤に触れたい。キスしたい」
　工藤の視線が、困ったように彷徨っている。
「好きだ」
　快斗の言葉に、工藤はぎゅっと目を瞑った。工藤は優しい。彼は本能的に傷ついた人間が分かる。多分、快斗の傷に気づいて、彼は許しているのだ。
　勘違いをしてはいけない。
　分かっていながら、気持ちは止まらなかった。
　快斗はそっと祈りを捧げるように、その唇に触れた。唇越しに、工藤の震えが伝わってくる。殴られると覚悟した拳は握りしめられ、シーツを掴んでいる。快斗は小さく笑って、もう一度、触れた。今度は触れるだけでは済まなかった。
「ん、んんっ」
　首の後ろに手を回し、逃げられないように固定して、歯列を割り、吐息を重ねる。口腔を嬲り、舌を絡めて、吸い上げる。
　まだまだ全然足りなかったけれど、工藤の唇を味わってキスに酔った。けれど、それ以上を求める気持ちに鍵をかけ、鉄の意志で快斗は工藤から離れた。離れた瞬間、二人の間に零れた吐息が熱い。
「･･･キッ･･･ド･･･」
　キスに赤くなった唇で名前を呼ばれ、潤んだ瞳で見つめられて、快斗は凶悪とも言える、工藤の無意識の艶に目眩を感じた。
　口の端に零れた唾液を指先で拭ってやる。
「今日は工藤の様子を見に来ただけだったのに、こんな事して、ごめんな」
　快斗は立ち上がった。これ以上、この場所で工藤と一緒にいたら、自分が何をするか分からなかった。
「キッド」
「今日は、これで失礼するよ。元気そうで良かった」
　ばさりとマント翻し、入ってきたと同じようにベランダへ出る。
「名探偵」
　振り返ると、工藤がびくりと身体を震わせた。
「な、何だよ」
「次は、本当に盗っちまうかもしれないぜ？　その気がないなら、気をつけろよ。今日みたいにされたら誤解するぜ？」
「バ、バーロー、今日は、その、そうだ、この前の時間稼ぎの借りを返しただけだ。次は殴るからな、覚悟しとけ！」
「肝に銘じておくよ」
　マントを翻し、もう振り返らずに、快斗は冬の夜空に飛び立った。
　冴え渡る風を置き去りにしながら、夜を滑空する。冬の月に見守られながら、快斗は唇に残る甘さと苦さを噛み締めた。

終

（2008.10.19初出　2013.06.16再掲）

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