おやくそく5

おやくそく
5

「しんいち」
　名前を呼ばれて眼を開けると、目の前に白い怪盗の顔があった。
　ぼんやりとした頭で、新一は視線だけで周囲を見回す。足を踏み外した機械室と月と夜空が見えて、例の高層ビルの屋上で怪盗の腕に抱き起こされている自分に気がついた。
「しんいち、大丈夫か？　頭、打ってないか？」
「ん、大丈夫だ」
　どうやら元の世界に戻れたらしい。はっきりとしない頭に手をやろうとして、腕時計に気がついた。衝撃で壊れたと思っていた時計が、今は規則正しく時を刻んでいる。
「･･････」
　ほんの一瞬の時間旅行。新一の夢や妄想でない証拠はない。それでも。
　新一は自分を抱き起こしている怪盗を見上げた。シルクハットは落ちて、見覚えのある奔放な癖毛が見えている。
「しんいち？」
　そっと手を伸ばして、新一はキッドの片眼鏡に指をかけた。キッドは何も言わない。抵抗する素振りも見せない。そのまま、片眼鏡をはずした。
　小学生ではないけれど、新一の感覚として、ほんの半日前に見たのと同じ心配そうに覗き込んでいる双眸がそこにあった。
「･･････快斗？」
「しんいち！」
　溢れる感情のように、快斗の腕が新一を力いっぱい抱き締めた。
「･･･今の怪盗キッドはお前だったのか、快斗」
「ああ、そうだよ、しんいち」
　自分の身体を掻き抱き、肩口に顔を埋めている怪盗の背中に右腕を回す。片手で抱えられそうだった小さい子供は此処にはいない。
「でかくなったなぁ」
「しんいちは、ちっとも変わってない。ていうか、ようやくオレが追いついた」
　小学生とは違う、声変わりをした快斗の声が優しく耳に入ってくる。
「次の日、ちゃんとあの屋上に行ったんだぜ、オレ」
「･････････」
「でも、しんいちは来なかった。ずっと待ってた。ずっと探してたんだ。毎年、約束した日に屋上に行ったけど、やっぱりしんいちは来なかった」
「悪かったよ。でも、物好きだな」
　苦笑する新一の身体を抱き締めたまま、キッドは、快斗は想いを吐露し続ける。
「高校生になった頃、〝工藤新一〟の記事と写真を見て、もしかしてって思い始めて、〝工藤新一〟の事を調べ始めた」
「普通、別人だと思うだろうが」
「うん、最初はそう思ってた。〝まさか〟ってね。工藤新一に兄弟がいないかも調べた。でも、工藤新一は一人っ子だった。それに、何より写真で見た工藤新一の瞳は、オレのしんいちと同じだった」
「誰が、〝オレのしんいち〟だよ」
　つれない言葉に、快斗が上目遣いに新一を見る。
「ダメ、か？」
「当たり前だろ」
「どうしても？」
「どうしても」
「でも、オレはしんいちが欲しい」
「おい、･･･んっ･･････」
　快斗の唇が、新一のそれを強引に塞いだ。背中に回した手で慌てて快斗の後ろ髪を引っ張るが、快斗の唇は離れようとしない。むしろ、抵抗する動きに煽られるように角度を変えて、強引に歯列を割って舌が入り込んでくる。
「んんぅ」
　快斗が新一を想っていた時間を知らしめるように、入り込んできた舌は新一の口内を丹念に味わい、舌を絡め取り、吸い上げた。
　その巧みな甘さと柔らかさに流されてしまいそうになる。
　口づけの合間に、快斗の唇は甘く囁いた。
「しんいち、好き。大好き。ずっとずっと、しんいちの事が好きだった」
「･･･っ･･･」
　キスに眩む。穏やかでそれでいて、情熱的な快斗の舌と唇が新一を翻弄する。しかし、不埒な手が服の上から新一の身体を探り始めて、キスに酔っていた新一は一気に覚醒した。
「っの、調子に乗ってんじゃない！」
　拳を作って、思い切り快斗の頭を殴り飛ばす。さすがに、渾身の力で殴ったので、相手の力も緩んだ。その隙に、新一は快斗の腕から抜け出して、釦が外され乱されかけた服を慌てて直す。
「な、何しやがるんだ！」
「え、そんなの、ナニに決まってんじゃん」
　当然のように答える快斗をもう一度殴りつけようとしたが、今度は軽々と避けられた。
「しんいち、照れるなよ」
「照れてねえ！」
　肩で息をしている新一に、快斗は子供の頃と同じ無邪気な笑顔を向ける。
「オレは、ずっとしんいちに触れたかったんだ」
「んな事、急に言われても･･･。いや、そうじゃねえ、変態！」
　一瞬、迷いそうになった自分を慌てて否定して、強い言葉を投げつける。しかし、快斗にはこれっぽっちも効いていないようだった。新一に思い出してもらっただけ嬉しいのか、にこにこ笑っている。
「変態でも構わないよ。あの日から、ずっとオレはしんいちの事が好きだったんだよ。何たって、オレの初恋だからな」
　それでも引き際を心得ているのか、快斗は機械室の陸屋根の上に置き去りにしたシルクハットと宝石を拾って、再び新一の下に戻ってきた。
「悪いけど、これ返しといて」
　取り落とした宝石には、とりあえず目立った傷はついてないように見えた。受け取りながら、新一は視線を落とした。
「快斗、オレもお前の事は嫌いじゃない。でも、お前の事をそういう意味で好きかどうかは分からない」
「今はそれでいいよ。やっと約束守ってくれたしな」
　日付はとっくに変わっていた。快斗からすると、『明日会う』という約束は10年の歳月を経て、ようやく果たされた。
　快斗は改めて新一に向き直り、予告した。
「でも、絶対にオレの事を好きにさせてみせるからな」
「すげー自信だな」
　新一が呆れて笑った。快斗はシルクハットを被り直して、不敵な笑みを口の端に刻んだ。
「怪盗キッドは狙った獲物は必ず頂くからな」
　すいと顎を掬われ、快斗の唇が新一の頬に触れた。
「おい！」
「あの時、〝オレのしんいち〝にオレ以外の奴がキスをして、本当に悔しかったんだぜ」
　綺麗なウィンクを投げて、快斗は夜の闇へその白い姿を翻した。その姿を見送りながら熱くなった頬に手を当てて、新一は溜息をついた。
　昔のキッドについてや、何故快斗がキッドになったのか、聞きたい事は山ほどあった。それも、いずれ聞く機会もあるだろう。多分、これから先も今までと変わりなく、怪盗キッドとは対決していくのだから。
　上着のポケットに宝石を入れようとして、中に入っている物に気づいた。取り出してみたそれは、一本の赤い薔薇だった。
　新一は薔薇を月に翳して眺めて、小さく笑って自分の認識を改めた。

　怪盗キッドとはこれからも対決するだろう。けれど、今までと同じではない。
　怪盗も探偵も、多分、今までとは薔薇一本分だけ変わってしまったに違いない。

　月が見せた幻のような一夜の出来事。

（2006.12.29初出　2010.06.20再掲）

お約束ネタがお題だったので、分かりやすいほどおやくそくな展開は生温かい目で見守っていただければ、幸いです（苦笑）。
高校生工藤さんはやっぱりちょっと可愛い感じになる傾向があるようです、自分。改めて、読み直して思いました事よ。
これは、快新もさることながら、実は盗一さんを書いてて結構楽しかった思い出が。盗一さん萌えー。さり気に、盗新（笑）。やっぱり、盗一さんはいいなぁ。
で、再掲にあたって、書いた当時はなかった公式の「兄」発言を反映させてみました（苦笑）。
うちにしては、なかなかのほのぼの展開のお話でした。
再掲に、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました！

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