Brute12

Brute
12

　黒羽の目の前に男が一人立っている。どこかで見たような、暴力団風のいかつい顔だ。どこからか声がする。

『その男が、お前の父親を殺したんだよ』

　ああ、そうか。そうだったのか。気づくと黒羽の手にナイフが握られていた。

『だから、その男を殺していいんだよ』

　この男が黒羽の父親を殺したのなら、黒羽には男を殺す理由がある。大好きな父を黒羽から奪った、憎んでも憎みきれない相手だ。
　黒羽はナイフを相手に突き刺した。
　刃先が肉を切り裂いて、男の腹にずぶりと沈んだ。男の肉を血管を断ち切っていく感触が、ナイフを通して伝わってくる。自分は人を殺そうとしている。けれど、感情は動かない。
　刃の根元まで突き刺したナイフを一息に引き抜いた。刃先を追って、血飛沫が上がる。男は壊れた人形のように崩れ落ちた。瞬間、強風に顔を叩かれ、眼を閉じる。風が治まるのを待って眼を開けて、そこがあのビルの屋上だと初めて気がついた。視線を転じると、黒羽が今刺した筈の腹から血を流した男が、屋上の鉄柵に両腕を括りつけられていた。男はあの夜の死体だったのだ。
「え？」
　駆け寄って覗き込んだ死体の顔は、いつの間にか工藤新一に変わっていた。

「おい、キッド！」
　そう呼ばれるのと、頬に激しい痛みが走るのが同時だった。
「おい、起きろ！」
　逆の頬にも痛みが走る。意識が覚醒して眼を開けると、黒羽の胸倉を掴んだ工藤が右手を振り上げているのが見えた。工藤がキッドを起こそうとして、頬を力いっぱい叩いているのだと、すぐに状況を理解した。
「うわっ、タンマ！　起きた！」
　黒羽は慌てて工藤の腕を掴んだ。両頬が痛みを訴えている。これ以上叩かれたら、頬が腫れ上がってしまう。
「やっと、起きたか」
　工藤の腕から力が抜けたのを確認して、黒羽も手を離した。
「何だか知らないけど、お前、うなされていたぞ、キッド」
「そっか、夢か。悪い」
　黒羽はソファに起き上がって、夢見の悪さに滲んだ汗を拭った。時計を見ると、一時間ぐらい眠っていたようだ。横に立っている工藤を見上げる。
「悪かったな。起こしちまったのか？　そんなにうるさかったんだ、オレ」
「いや、オレは咽喉が渇いて目が覚めただけだ。水をもらおうとこっちに来たら、お前がうなされていたから。悪い夢でも見たのかよ？」
「ああ、そんなとこだ」
　手が震えている。夢の中なのに、人を刺した感触がまだ残っていた。そして、工藤の死体を目の当たりにした恐怖が震えとなって、止まらない。
「水でも飲むか？　持ってきてやるよ」
　よほど酷い顔をしているのだろう。怪我人の工藤が気遣ってくれる。しかし、黒羽はキッチンへ向かおうとした工藤の手を掴んだ。
「キッド？」
　傷に響かないように気をつけながら、黒羽は掴んだ工藤の手を引いた。戸惑った顔で、それでも工藤は逆らわずに黒羽の隣に座った。
「キッド？　何だよ、どうかしたのか？」
「悪い、ちょっとだけ、このまま」
　黒羽は掴んだ工藤の手を額に当てて、眼を閉じた。工藤が僅かに緊張しているのが分かる。それでも、黒羽に手を預けたままにしてくれた。
　工藤の温もりが伝わってくる。工藤の手の優しさが、冷たい夢の残滓を振り払ってくれる。
　黒羽も工藤も無言で、部屋を静寂が支配する。けれど、それは居心地の悪いものではなく、夢に傷ついた黒羽を優しく包んでくれた。温もりと静けさに、胸の中の感情が凪いでいった。

（2008.03.16初出　2015.5.30再掲）

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