Brute20

Brute
20

　工藤はシュヴァルツと名乗る殺し屋に、怪盗キッドに対する人質として廃ビルに連れて来られた。
　そんな状態でも探究心は旺盛で、時間稼ぎも兼ねてシュヴァルツと会話した。その結果、今はシュヴァルツの腕が背中に回され、その顔が胸元に埋められた。
　鎖骨を咬まれた傷を癒すように、唇が寄せられた。唇すらも冷たく、彼が触れている箇所からまるで毒が注がれているようだ。
「貴方と話がしてみたかった」
　工藤を同類と呼び、仲間を見つけて喜んでいるシュヴァルツとは反対に、工藤は彼が肌に触れている唇から、回されている腕から蝕まれ、身体の芯が冷たくなっていく気がした。
　突然、シュヴァルツが弾かれたように工藤の身体から離れた。ほぼ同時に、今までシュヴァルツの身体があった空間を何かが切り裂いていった。
　壁に突き刺さったのは、トランプのカード。続いて、聞き覚えのある声が飛んできた。
「工藤から離れろ」
　開かれた扉、そこに見間違えようのない、独特の白い衣装を纏った姿が立っていた。
　工藤は思わず怒鳴っていた。
「キッド！　何で来た！　この馬鹿！」
「うわ、ひでー言いようだな、名探偵」
　キッドは溜息混じりに呟いてから、表情を改めた。
「で、あんたがご指名をくれた奴ってわけか」
　涼やかというよりは冷ややかな目で、キッドはシュヴァルツを睨みつけた。
「キッドは紳士だと聞いていましたが、そうでもないみたいですね」
　シュヴァルツはコートの中に手を入れ、大型ナイフを取り出す。
「おい、やめ」
　最後まで言わせずに、立ち上がったシュヴァルツは、座った状態で縛られている工藤の喉元に迷いなく切っ先を突きつけた。
「やめろ！」
　キッドが叫ぶ。唾を飲む動きだけで刃先に触れそうだった。
「お前の目的はパンドラだろう！　工藤は関係ない。離せ」
「確かに私の目的はパンドラです。ですが、そうですね。貴方にとって、ここにいる彼、シンイチ・クドーとは何ですか、キッド？」
　シュヴァルツは感情の読めない瞳をキッドに向けた。
　工藤も思わずキッドを見つめた。
　多分、シュヴァルツの質問にそんなに深い意味も裏もないだろう。けれど、工藤はシュヴァルツの言葉で、マンションでキッドと触れそうになった瞬間を思い出してしまった。
　そんな場合ではないと分かっているが、一気に顔に血が上った。シュヴァルツはキッドを見ていて、一人頬を赤らめている工藤の様子に気づかない。しかし、こちらを見ているキッドの視界には、シュヴァルツだけでなく工藤も入っているだろう。
　キッドもまた工藤の感情が移ったような顔を一瞬見せたが、すぐに得意のポーカーフェイスに戻っていた。優雅で気障な怪盗がそこにいた。
「質問の意図がよく分かりませんがお答えしましょう。工藤探偵は私にとってよき好敵手です。こんな形で巻き込むのは非常に不本意でしてね。すぐに解放していただきたい」
　シュヴァルツは眼を細めた。
「貴方の事はよく知りませんが、どうやら私は貴方が嫌いのようです」
「奇遇だな。私も同意見だ」
「パンドラを渡して下さい」
「誰が言ったのか知らないが、私はパンドラを持っていない。既にパンドラを手に入れているなら、とっくに怪盗業を廃業している」
「そう言うと思っていました。ならば、貴方がパンドラを持っていないと証明して下さい」
「どうやって？」
「簡単ですよ」
　シュヴァルツは静かに微笑んだ。
「死んで下さい」
　工藤は、目の前にいるナイフをかざした男が人の世界の境界をとっくの昔に越えてしまっている事を、改めて思い知った。

（2008.03.16初出　2016.2.28再掲）

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