Brute5

Brute
5

　今回の現場もマスコミはいなくとも、警察の人間だけで十分に華々しい舞台だった。
　標的のダイヤモンドを中心に、何重もの警備の輪が取り巻いている。独創性はないが、人海戦術としては有効である。
「代わりに、潜り込みやすいんだけどね」
「ん、何か言ったか？」
「いいえ、何でもありません！」
　黒羽は他人の顔と声音で、隣の警察官に返事をした。
既に、警備の警察官とは入れ替わり済みである。一度、中森警部のチェックを受けている人間と入れ替われば、変装を見破られる可能性は低くなる。工藤新一のような、頭の切れる助言者がいれば、話は別だが。
　彼がいるのといないのとでは、気合いの入れようも違ってくる。やりがいもそうだ。名探偵との互いの能力を全て出し合い、繰り広げてきた数々の対決。そのスリルと高揚感に勝るものはなかった。
　そう考えて、黒羽は内心慌てて探偵の顔を頭の中から追い払う。
　どちらかというと、探偵にはキッドの現場に来て欲しくないのだ。なのに、こんな事を考えるのは、これでは待っているようではないかと、自戒する。まずは目先の仕事に集中しなければ。
　変装用の特製マスクの下で、黒羽は顔と気を引き締めて、行動を起こした。
　予告時刻になり、展示室の緊張はピークに達している。黒羽は手の中のスイッチを押した。事前に展示室の天井の数箇所に仕込んでおいた装置から、催眠ガス入りの煙幕が噴霧された。
　一瞬、警官達の間に動揺が走るが、間髪入れずに対キッド戦において経験豊富な中森の声が広い展示室中に響き渡った。
「慌てるな。ガスはキッドの常套手段だ。各自ガスマスクを装着！　持ち場を離れるな！」
　中森の号令一下、全員がガスマスクを装着する。それを見届け、順調に進んでいく計画に口元に笑みを刻んで、黒羽は次のスイッチを押した。
「うわっ」
　火薬の弾ける音と共に、黒羽の右隣にいた警官のガスマスクからも催涙ガスが噴霧された。ガスマスクの吸収缶と、それに似せて作った催涙ガスの詰まった小型ボンベとを掏り替えておいたのだ。勿論、吸気が阻害されないように細工はしてあるので、警官が窒息する心配はない。
　火薬でボンベの蓋を弾いて、ガスを噴出させる。難しい作りではない。しかし、マスクを付けている警官はパニックになり、慌ててマスクをはずそうとする。周囲の動揺が収まる前に、今度はまた掏り替えておいた、左隣の警官のガスマスクから催涙ガスを噴霧させる。混乱が広がっていく。
　そして。
「うわぁ、大変だぁ。マスクに細工がされているぞ！　爆発するぅ」
　黒羽はわざとらしく大声をあげた。流石に、顔面に装着しているマスクが一部とはいえ破裂したり、ガスを噴出するのでは、警官といえども恐怖だろう。次々とマスクを外し始める。しかし、ガスマスクを外せば、展示室に充満しつつある催眠ガスの餌食となり、警官達は次々と昏倒していく。命に別状はないが、だからといって、冷静でいられるわけでもない。現場は中森の怒鳴り声だけでは統率できないほどの、混乱に陥った。
　黒羽はその隙に乗じて、さり気なく展示ケースに近づいて、簡単に鍵を開けた。予告から間がなかったおかげで、頑丈な鍵に取り替えられてはいたが、展示ケースそのものに細工をする余裕はなかったようだ。それならば、怪盗キッドにとって、何の障害にならない。無論、それを期待していたので、全てが黒羽の、怪盗キッドの計画通りだった。
　ダイヤモンドを手にすると、黒羽は警官の変装を解いた。怪盗キッドの姿で一息に窓枠まで跳躍し、ガスマスクを外す。
「怪盗キッド！」
　マスクを外して倒れている警官を踏み越えて、中森がキッドに近づこうとする。しかし、人海戦術のデメリットである、一度混乱すると収拾が難しい人数の警官の群れが、中森が前に進むのを阻んだ。
「では、中森警部、この美しき〝天使の涙〟は怪盗キッドが、確かにいただきました」
　黒羽は涼しげな怪盗の笑みと共に白いマントを優雅に捌いて、窓枠に足をかけた。これ見よがしに、手の中のダイヤモンドを中森に示した。
「おのれ～」
　混乱する警察官にもみくちゃにされながら、悔しがる中森の声に背中を向けた。
「待て、キッド！」
　警察に待てと言われて待つような、素直な泥棒はいない。しかし、かけられた声は、いつもの中森と違っている気がして、黒羽は振り向いた。
　片眼鏡越しに見ると、中森が必死の形相で怪盗キッドを睨んでいる。逃げる事も嘘をつく事も許さない、低い声が飛んできた。
「一つだけ答えろ。お前はあの夜、人を殺したのか、怪盗キッド!?」
「中森警部、私は確かに泥棒ですが、あなたもご存知の通り、人の命だけは盗りません。ですが、残念ながら、その事に関して、私の無実を証明する物は何一つありません」
　シルクハットの鍔に手をかけ、中森に優雅に会釈し、その後はもう振り返る事もなく黒羽は窓枠を蹴った。グライダーを広げて、夜間飛行に程よい風を捕まえて、黒羽は月下の奇術師らしく、欠けた月が彩る夜空を自在に滑空していく。
　宝石を奪われた展示室に残された中森は、キッドの返答を聞いてきっと安堵しているだろう。それはただの言葉だけであるし、怪盗キッドの無実を証明する何の証拠でも証言でもないけれど。少なくとも、長年攻防を繰り返している中森には伝わり、彼の憂いを取り除く事は出来るだろう。
「名探偵にも伝わるといいんだけどね」
　思わず呟いた言葉に、黒羽は自分の未練がましさを知り、苦笑した。
「まあ、あの容赦のない名探偵に追っかけられるのは、おっかねえからなぁ」
　誰に対する言い訳か。付け足した呟きに、黒羽はますます自嘲した。

（2008.03.16初出　2014.09.28再掲）

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