Blind-Secret2

Blind　Secret
2

　木立を抜けると、公園の敷地内に小さな野外ステージがあった。緑に囲まれた、街の住民達の趣味の発表やささやかな音楽コンサートなら開けそうな大きさだった。実際、その為のものだろう。
　公園の少し奥まった場所にあり、今はほとんど人がいなかった。いるのは、やってきたコナンと、ステージにいる先客の一人だけだった。ステージ上の人物は、学生服の高校生だった。
　高校生は観客のいないステージで、マジックを披露していた。彼の手の中で、トランプがまるで生き物のように舞い踊っている。
　コナンはその高校生を知っていた。名前は黒羽快斗。マジシャン志望で、確か世界で二番目のマジシャンになる予定だと嘯いていた。確認はしていないが、多分、本名だ。理由はなかったが、そんな気がした。普通、出会って、名乗られた相手の名前をそうそう疑うものではないが、コナンは、彼のもう一つの顔に心当たりがあった。もし、彼がコナンの想像通りの二つ名を持つ人物ならば、常識的に考えて探偵であるコナンに対して、本名を名乗るなど絶対にあり得ない事だった。なのに、「黒羽快斗」は彼の本当の名前だと、確信している自分自身に苦笑する。
　推理は確たる証拠を得て、真実となる。確証もない推理をひけらかす趣味はない。だから、今はまだコナンの知っている彼はただの高校生の黒羽快斗だ。
　黒羽は誰もいない観客席に向かって、楽しそうにマジックをしている。コナンはステージに近づいて、いくらでも空いているベンチの中で、最前列の黒羽のマジックを一番よく見る事の出来る特等席に座った。
　黒羽は突然やってきたコナンに驚いたようだった。瞳が僅かに見開いた。それから、見ている方が恥ずかしくなるような屈託のない嬉しそうな笑みを浮かべて、何も言わずにショーを続けた。
　カードマジック、コインマジック、シルクが舞って、ボールが跳ねて、色とりどりの紙吹雪の中を、白い鳩が飛ぶ。
　野外ステージで行われている黒羽快斗のワンマンショーを、たった一人の観客である江戸川コナンが見つめる。まるで、閉ざされたように、その空間に他の誰も入ってこない。風と葉擦れの音が心地よく世界を包む。
　ひどく静かな時間だった。華やかなステージであるのに、マジシャンの指から生み出されているのは色鮮やかに賑やかなマジックなのに、空気は穏やかに凪いで、コナンと黒羽の間に横たわっている。
　一通りのマジックが終わったらしく、学生服の黒羽が優雅に一礼した。それに合わせて、コナンは手を叩いた。
　何となく邪魔をしてはいけないような気がして閉ざしていた口を、コナンはようやく開いた。
「こんな所で何しているんだよ、快斗兄ちゃん」
　小学生であるコナンが、高校生の黒羽を呼び捨てにするわけにはいかない。以前、出会った時と同じように、コナンは呼びかけた。
　黒羽は笑って、肩を竦めた。
「勿論、見ての通りのマジックショーさ」
「観客もいないのに？」
「観客はいるさ」
　自分の事を言っているわけではない。コナンが怪訝そうに眉を顰めると、快斗は空を指差しながら、笑顔を見せた。
「オレの、死んだ親父」
　笑うわけにもいかず、コナンは曖昧に相槌を打った。
「死んだ親父さんもマジシャンだったのか？」
「ああ。世界一のマジシャンさ」
　黒羽が誇らしげに胸を張った。
　なるほどとコナンは理解した。死んだ父親が世界一だから、黒羽は世界で二番目のマジシャンを目指しているのだ。彼が追いかけているのは、もう永遠に越える事の出来ない世界一のマジシャンの背中。
「･･･ファザコン」
「何か、言ったか？」
「いや、何も。ん？　黒羽？　もしかして、快斗兄ちゃんの親父さんて、マジシャンの黒羽盗一さんか」
　コナンの言葉に、黒羽が今まで見た事ないほど嬉しそうに破顔した。
「へえ、探偵君、親父のこと知ってるんだ。嬉しいなぁ」
　放り投げたハンカチが鳩に変わって、快斗の肩に舞い降りる。
「ちょっとな。有名なマジシャンだったし。知ってるって言っても、名前ぐらいだけど」
　八年前に死んだマジシャンを、有名とはいえ、小学生のコナンが知っているのは少々不自然だった。しかし、母が世話になったと正直に言えば、では、母とは誰かと訊かれると困るので、そこは伏せておく。夜空を駆ける白い怪盗はコナンの秘密を知っているが、黒羽快斗が彼だという証拠はない。不用意な発言は出来ない。
　そんな事を考えながら、コナンの中で全てが符合する。
　マジシャンの黒羽盗一氏は、確か八年前にステージ中の事故で亡くなった。かつて世間を騒がせていた怪盗キッドがぷつりと活動しなくなったのも、八年前。そして、八年経った今、再び怪盗キッドは世間を騒がし、コナンの前には高校生に成長したマジシャンの息子が現れた。
　理由は分からない。だが、その推理は充分検証に値する内容だ。
　同時に思い出される事があった。黒羽盗一氏の事故死の報道がされた時、彼と親交のあった母有希子はとても悲しんでいた。そんな母を慰めながら、父優作も悲しんでいた。母の知り合いが亡くなった事を我が事のように悲しんでいるのかと思っていたが、今なら分かる。
　優作は当時の怪盗キッドと浅からぬ因縁があった。盗一氏が怪盗キッドと仮定するならば、あの時優作は妻の知人の死ではなく、自らの好敵手の死を悼んでいたのだ。
「どうかしたのか、探偵ボウズ？」
　黙り込んでしまったコナンを、黒羽が真直ぐに見つめている。怪盗の見透かすような冷涼たる双眸ではなかったが、居心地悪くコナンは身じろいだ。
「何でもないよ、快斗兄ちゃん」
「ふうん」
　快斗はステージの端に腰掛けた。最前列のベンチに座っているコナンを見下ろす形で、正面から向かい合う。快斗はコナンを、まるで見透かそうとするように見つめてくる。見透かしたり、見通したりするのは、それは、探偵である自分の仕事だと何となく不愉快になる。そんな子供じみた気分を誤魔化そうと、無理やりに口を動かした。
「普通、タネやトリックがバレると困るから、そういうマジックの練習は人目のつかない所でするもんじゃないの、快斗兄ちゃん？」
「別に練習じゃないし。タネがばれるようなドジはしないさ。それに、さっき探偵君が来るまで、ここには誰もいなかったんだぜ？」
　穴場なんだ、ここ、と快斗は秘密基地を自慢する子供のように偉そうだった。高校生の黒羽は、小学生を演じているコナンよりよっぽど自然体に無邪気だった。
「練習じゃないなら、観客もいないのに、何してたんだよ。本当に、亡くなった親父さんに普段の練習の成果を見せていただけなのか？」
「それもあるけど。･･････たまにさ、何にも余計な事を考えずに、ただマジックをやりたくなる時があるんだよ」
　純粋に父親とマジックに憧れていた頃のように。
　黒羽の少し淋しそうな笑みと言わない言葉から、眼を逸らす。
「ふーん」
　向けた横顔に、問いが投げかけられた。
「探偵君こそ何だって、こんな遠くまで来たんだ？　毛利探偵事務所から随分遠くねえか、この公園。小学生の行動範囲じゃないぜ。そんな所に一人淋しく座って、オレのマジックを見てるぐらいだから、何かの事件の捜査ってわけじゃなさそうだけど」
「別に。ただの散歩だよ」
　ただちょっとだけ、嘘をつくのに疲れただけだ。
　工藤新一である為、または江戸川コナンである為には、嘘を沢山重ねてきた。たとえ、無事に元の姿に戻る事が出来たとしても、この偽りを演じた時間がなくなるわけではない。この後もずっと、辻褄を合わせる嘘を重ね続けるしかないのである。そうする事を自分で選んだのだけれど、それでも、少し疲れて立ち尽くす時がある。
　一人になりたかった。誰にも、何も、偽らないでいい場所に行きたかった。
　なのに、恐らく互いに最も偽らなければならない相手である黒羽快斗と、偶然の再会を果たしてしまった。コナンは肩を竦めて、現在の状況の皮肉さに苦く笑った。

（2007.09.30初出　2010.05.15再掲）

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