天に祈りを11

天に祈りを
11

　風間のオフィスで、キッドはどんな妥協も許さずに、オルゴールを持ってくる事を要求した。
「分かった。頼むから、銃を下げてくれ。落ち着かないし、危ないだろう」
　しかし、風間の要求に笠原の顔をしたキッドは首を振った。
　怪盗紳士、義賊などと持て囃されても、所詮は犯罪者。人を傷つけないとの評判を信じた自分自身の迂闊さを、風間は呪った。
　このままオルゴールをキッドに奪われれば、オルゴールについたアメシストと引き換えにまとまりかけた取引がダメになり、風間にとってマイナスになる。伊勢崎を失脚させる事ができても、自分も被害を受けるのでは意味がない。どうすれば、自分に銃を突きつけている泥棒を出し抜く事ができるか、風間は考えを巡らせた。
「オルゴールはこの部屋にはない」
「では、何処にある？　案内しろ」
「こっちだ」
　背後からの銃口を気にしながら、風間は部屋を出て、キッドを自分の寝室へと案内した。寝室はメインの執務室から離れた位置にある。眺め的には一番いい部屋を寝室に充てた。仕事で泊まり込むなどざらにある。名目上は仮眠室であるが、広さも設備も自宅と遜色ない物を揃えてあった。専務の仕事に対する当然の対価として、勿論全て経費で落とした。
　寝室の壁に掛けてある薄型テレビの裏に、隠し金庫があった。これの存在を知っているのは、風間本人と作らせた業者ぐらいである。秘書の笠原は勿論、会社の人間は誰も知らない。展示室の本物を贋物とすり替えた後、そこに一時的に保管していた。オルゴールもまだそこにあった。
　取引先の相手の目的はアメシストであって、オルゴールではない。しかし、確かに本物を渡すという証明を兼ねて、アメシストは相手の目の前でオルゴール箱から外す予定になっていた。なので、まだ状態はオルゴールのままだった。
「この金庫の中にある」
「取り出せ」
　キッドに言われるままに、風間は静脈認証でロックを外し、金庫を開ける。有価証券、現金、金塊、貴金属、取引先や下請け業者から、風間がもらって当然だが、法律上は違法になる物や、それを元に別の物に変換した物が、そこには保管されていた。その中から、オルゴール箱を取り出した。
　風間にしてみれば、取るに足りないオルゴールだった。元々は部下の物だった。社長がこの手の物を好むのを知っていたので、社長への点数稼ぎに風間はこのオルゴールを手に入れた。手に入れる為に様々な苦労したが、手に入れてからも、これだけの面倒事に巻き込まれるとは、もうこのオルゴールそのものが呪われているとしか思えなかった。風間は自分の不運と不幸を嘆いた。しかし、キッドは風間の嘆きなど歯牙にもかけない。冷徹な声が風間に指示を出す。
「オルゴールをテーブルに置け」
　泥棒風情が何を偉そうにという文句は飲み込み、愛想笑いを浮かべながら、風間はキッドに言われた通りにオルゴールをテーブルに置いた。キッドの銃口は油断なく風間を捉えている。
「そのまま離れろ」
　風間が離れるのと入れ替わりに、キッドがテーブルに近づいた。
　キッドは風間に銃口を向けたまま、オルゴールに手を伸ばした。一瞬だけ、視線が風間からテーブルのオルゴールへと流れる。風間はその瞬間を待っていた。
　風間は常にポケットに入れてある、護身用の小型拳銃を取り出した。犯罪者に対する躊躇いは僅かもなく、当然の正当防衛として、風間はキッドに向けて引き金を引いた。小型拳銃の口径は小さく、致命傷にはならないが、当ればそれなりの怪我になる。銃弾はキッドの腹部に命中した。
「っ」
　キッドがよろめいたところに体当たりをして、風間は彼の手から拳銃を奪った。キッドが床に倒れ、腹を押さえている手の下から血の染みが広がっていく。
「泥棒が調子に乗るからだ」
　吐き捨てるように言って、風間は立場の逆転を示すように、蹲る身体を蹴りつけた。
　床に転がったキッドが呻いた。
「ふん。いいざまだな、犯罪者」
　銃口を向けながら、このまま撃ち殺そうかと考える。しかし、高級絨毯にこれ以上血の汚れがつくのは嫌だった。そこで、風間は一つ忘れていた事を思い出した。
　笠原がいない。目の前にいるのは、笠原の変装をした怪盗キッドだ。ややこしいと思いながら、銃を突きつけたまま、キッドの髪を掴んで顔を上げさせた。
「おい、怪盗キッド、笠原はどうした？　殺したのか？」
　風間は笠原にキッドを伊勢崎のオフィスへ案内させたが、考えてみればそれ以降、彼の姿を見ていない。通常ならば、風間の傍に控えている筈が見かけない。勿論、別に笠原の身を案じての質問ではない。
　銃で撃たれたキッドは脂汗を浮かべながら、笑みを浮かべた。まるで、風間を嘲笑しているようだった。この逆転した立場で、圧倒的に不利な立場で、キッドがそんな顔を出来る余裕などどこにもない筈だ。不快感と警戒で、風間は眉を顰めた。
「何がおかしい？」
「まだ、分からないのか？」
「何の話だ」
「オレは、本物の笠原だよ」
「何っ!?」
　風間の目の前で、見た事のない表情の笠原が顔を歪めて笑ってみせた。

　全階に響き渡る火災報知機が鳴りだしたのは、次の瞬間だった。

（2008.10.19初出　2013.03.30再掲）

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