天に祈りを13

天に祈りを
13

　展示室フロアでいきなり助けに来た筈の相手、工藤新一の強襲を受けた時、快斗は不覚にも喜んでしまった。
　怪我をしているにも関わらず、捕まっている場所から脱出し、尚かつ、自分に向けて容赦なく蹴りを繰り出してくるところは、やはり工藤新一らしいと、紙一重で殺人的な蹴りを躱しながら快斗は嬉しくなっていた。
　悪党とはいえ、プロではない所詮は素人の風間専務や笠原秘書から、工藤が自力で逃げられないわけはないと分かっていた。だがしかし、それでも、怪我をしているようだったし、彼の状態が気になっていた。
　今回の目的のアメシストを後回しにしてまで様子を見に行って、とっても元気な探偵の様子に安堵しながらも、助け甲斐もないと、不謹慎にも一抹の淋しさも感じてしまった。
　何とか無事に合流したものの、この場所から脱出する事に対して興味を抱いてない探偵の様子から、彼の目的が別のところにあると気づいた。
　怪盗キッドの予告状は、ただの口実で、目的は風間専務そのものにあるのだろう。その辺りを訊くと、探偵は怪盗の察しの良さに笑みを浮かべた。
「怪盗キッドに関しては、完全にオレの興味だぜ。誰からも依頼されていない。ただ、たまたまここの伊勢崎専務から相談されていた案件があったから、キッドの予告状を見せてもらうついでに、色々その辺りの事を調べようと思ったのは確かだな。いや、本当にいいタイミングで予告状を出してくれたぜ。助かったぜ、キッド」
　用心深い風間専務と話をするにも、探偵が用もなく会いに行くわけもいかない。ただ警戒させるだけだ。その点、怪盗キッドの予告状を口実にすれば、自分の身辺に対して調べられているとは思わないだろう。油断させる事ができる。そう考えたのだが、やはり、後ろ暗いところがある人間は、探偵という人種に警戒感を剥きだした。結局、殴り倒される事になってしまった。そこは油断だったと、工藤も反省していた。
「伊勢崎専務は、父さんの知り合いでさ。元々は父さんが相談に乗っていたんだけど、探偵の手が必要になるだろうって事で、紹介されたんだ」
「ふーん、どこかで聞いたような話だな」
「言うな。それで、オレも色々と相談されていたって訳だ。あ、言っておくが、伊勢崎専務はいい人だぞ。風間専務のように人を陥れようとして、オレを雇った訳ではないからな」
「あー、はいはい」
　快斗にとっては、キッドの予告状が探偵に利用されたという事以外は、誰がいい人でも悪い人でも同じ事だった。
「それで、風間専務を調べていくうちに気がついた事があってな。もしかしたら、このまま行くと、重大な犯罪に繋がる可能性が出てきちまって、だから、それがオレが焦っている理由だよ」
「どういう意味だ？」

「秘書の笠原さんは、10年前に事故死した風間専務の部下の息子さんだったんだ」

　今回の怪盗キッドの標的である、アメシストの飾られたオルゴール箱。それは元々、風間専務の部下だった小田の持ち物だった。アメシストは小田の亡くなった妻の形見のネックレスだったものを細工し直して、オルゴール箱に付けたらしい。形見を小田が手放す筈もなかったが、風間は自分の出世の為だけに、そのオルゴール箱を強引に自分の物にした。その経緯は不明だったが、小田が事故死し、その前後にいつの間にかオルゴールは風間の物になっていたので、小田を知る当時会社にいた者達は皆一つの噂を囁きあったものだった。
　曰く、風間が小田を殺して、オルゴールを奪ったのではないか。
　それほど、小田はオルゴールを大事にしていた。人に譲る気配など微塵もなかった。しかし、不運にも小田は歩道橋の階段で足を踏み外し、打ち所が悪く転落死した。
　事故発生時は夜だったため、目撃証言はなかった。警察も一応事故と事件、両方の可能性を考えて捜査していたが、その場所に第三者がいた証拠を見つけられなかった。尤も、その場に第三者がいなかった証拠もなかったのだが。
　伊勢崎から風間専務について相談を受けていた工藤は、彼の贈収賄疑惑や不正売買などについても調べていたが、同時に死んだ小田についても調べた。小田の死は伊勢崎も気になっていたらしく、会社に不利益な事態になったとしてもかまわないから、真実を見つけ出してくれと頼まれていた。
　その捜査の過程で、死んだ小田の既に亡くなっていた妻の旧姓が笠原だった事を工藤は知った。現在の風間の秘書の名前も笠原。その合致に気づいた時、工藤はそこに何らかの血縁の可能性に思い至った。その可能性について調べた結果、工藤新一の推理は間違っていなかった。
　死んだ小田の息子が笠原で、彼は父の死後、わざわざ名字を母方に改姓して北条産業に入社したのだった。そして、恐らくは彼の狙い通りに風間の秘書になった。
　彼の目的がどの辺りにあるかまでは事前調査では分からなかったが、今回の怪盗キッドの標的がたまたまそのオルゴールだった事で、工藤は笠原が何か行動を起こすと感じたらしい。それは、間違いなく工藤新一の探偵としての勘であり、どうやら実際に笠原は動いたようだった。
　快斗はそこまで聞いて、頭を掻いた。
「えーっと、それで行くと、今の事態は怪盗キッドの所為ですか？」
「そうは言ってない。でも、事件が起きる時っていうのは、大抵色んな偶然が重なって、重なったそれらが引き金になって起きる。今回は、オレが依頼を受けていた先が北条産業で、お前の標的もこの北条産業だったていう、現場が重なったから引き起こされたんだと思う」
　工藤が頭の包帯に手をやった。
「傷が痛むのか？」
　気づいた快斗が声をかけた。工藤は小さく笑って、頭を横に振った。
「大丈夫だ。そうじゃなくて、笠原さんてのは、元々優しい人なんだよ。こんな風に手当をしてくれてさ」
「まあ、そうかもしれねえな」
　だが、恐らく、笠原の目的は決まっている。
　母親の形見のオルゴールを取り返す事と、そして、父親の仇を討つ事。
　笠原は、広い意味で密室となっている風間のフロアにいる筈だ。自らの目的を果たすために。
　工藤が咳払いをした。
「それで、探偵のオレとしては、犯罪は未然に防ぎたい。どんなに嫌な奴でも、人が死ぬのは避けたいし、笠原さんが殺人犯になるのも、見たくない。それは依頼人の利益には繋がらないかも知れないけれど、人として見過ごせない」
「それで？」
「一応、オレは伊勢崎専務から、各階のパスワードを無効化する方法を聞いているんだ。万が一何かあった時のために教えておいてくれた」
「ふーん。で？」
「今が多分、その非常事態だ」
「えっ？」
　工藤は快斗の目の前で拳を振り上げると、力一杯壁の一点を叩いた。
　そこにあったのは、火災報知機。
　全階に響き渡る警報がけたたましく鳴った。

（2008.10.19初出　2013.04.29再掲）

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