天に祈りを15

天に祈りを
15

「笠原さん、傷の手当てをした方がいい」
「このオルゴールは母の形見だったんです。父の遺品を整理していて、オルゴールがない事に気づきました。探しても、どうしても見つからない。父の会社の人にも訊きました。でも、皆、目を逸らして、知らないと言う。その後、しばらくしてから北条産業の社長がテレビに出た事があったんです。ここの展示室にもカメラが入って、それでようやくオレはオルゴールがどこに行ったのか、知りました」
　傷が痛むのか、笠原は脂汗を滲ませながら、大きく息をついた。
「始めは、社長が父さんを殺したのかと思いました。でも、調べていくうちに、風間が自分の出世のためにオルゴールを奪ったんだと気づきました。だから、オレは名前を変えて、北条産業に入社して、秘書になって、風間に近づいたんです。真実を知るためと、母の形見を何とかして取り返すためです。でも、展示室のオルゴールはいつの間にか贋物にすり替えられていて、風間は本物の場所は秘書のオレにも言わなかった」
「だから、偶然届いた怪盗キッドの予告を利用しようと思ったんですね。風間を唆し、日にちを細工して、気づかれないように文字を滲ませて」
「そうです。ようやく、本物が、母さんの形見を見つけられた。後は、」
　懐かしそうにオルゴールを見つめた後、笠原はふらりと前に出て、風間に改めて銃口を向けた。
「後は、こいつを殺すだけだ」
「ダメだ、笠原さん。人を殺してはいけない」
「でも、こいつは既に殺している。オレの父さんを。何の落ち度もなかったのに、ただ自分の出世の道具を手に入れるためだけに、取るに足らない虫けらみたいに、父さんを殺した！」
　再び激高して、笠原の指が引き金にかかる。
「笠原さん！」
　新一はポケットからロープを取り出した。ロープの端には、展示室フロアで隠れるのに使った観葉植物の鉢に入っていた小石を括り付けておいた。ロープを鞭のように操り、笠原の手から拳銃を叩き落とした。
「工藤さ･･･な･･･で･･･」
　出血で朦朧とした笠原は苦しげに新一を見つめながら、その場に崩れ落ちた。それが、最後の気力だったのだろう。
　急いで駆け寄り、新一は笠原を抱きとめる。
「笠原さん、貴方が風間を憎む気持ちは分かる。でも、それでも僕は、貴方に風間と同じような殺人者になってもらいたくない」
　自分の頭部に巻かれた包帯を外すと、新一は笠原の腹部をきつく縛った。笠原は目を開いているものの、半分意識を失っている状態だった。
「キッド、救急車を！」
「もう工藤の名前で警察と救急車を呼んでおいたぜ。どっちにしろ、消防の方が早く来るだろうけどな」
「サンキュ」
　顔を上げてキッドを見ると、いつの間にか風間を気絶させて縛り上げていた。小さな呟きが聞こえた。
「父親の復讐、か」
「キッド？」
　答えずに風間を床に転すと、キッドは立ち上がった。テーブルの上のオルゴールを取り上げる。
「失礼」
　ただ軽く触っただけのように見えた。けれど、あっさりとアメシストは、オルゴール箱の蓋から外れた。キッドの白い手袋に包まれた手が、窓の向こうに見える冬の月にアメシストを翳す。宝石を盗んだ後に、キッドが必ずやる動作だ。それにどんな意味があるのか、新一は知らない。ただ、その時のキッドはひどく寂しそうに見えて、新一は邪魔する事が出来なかった。
「このアメシストは私の目当ての物ではありませんでした。お返しいたします」
　キッドは丁寧に、再びアメシストをオルゴール箱に戻した。目の前で盗みが行われずに済んだ。新一は、安堵して詰めていた息を吐いた。
「笠原さん、予告状を出したとはいえ、お母様の形見の品へのご無礼をお許し下さい。お詫びではありませんが、魔法を一つお見せしましょう」
　キッドがオルゴールを手に持ち、撫でるように手を動かした。
「？」
　オルゴールを再びテーブルに戻すと、キッドは優雅な手つきで蓋を開いた。
　壊れて鳴らないと風間が言っていた、オルゴールが音楽を奏で始めた。
「この曲は･･･」
　新一の腕の中で笠原が意識を取り戻し、瞳を見開いた。
「母さんが、好きだった曲だ」
　オルゴールが素朴に詠っているのは、新一もよく知っている曲だった。この曲を捧げる祈りのように詠う女性を知っている。
「アメイジング・グレイス、ですね」
　笠原の身体に回した腕に、力を込める。
「赦しの歌だ」
　瞼を閉じて頷いた笠原の瞳から、一筋の涙が零れて落ちた。

（2008.10.19初出　2013.05.25再掲）

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窓を閉じて下さい

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