天に祈りを2

天に祈りを
2

　北条産業が所有する三十階建てのビルの二十九階に現社長から寄贈されたという、美術品の展示室があった。最上階は社長室になっていた。
　今日の午後新一が面会の申し入れをした電話で、面会時間を終業時間後に指定されていた。更に待たされたので、既に一面のガラス窓の向こうには夜が広がっていた。ある意味、怪盗キッドの時間である。
　柔らかな照明の下、陶器や絵画などが整然と並べられ、中央のガラスケースの中に、その問題のオルゴール箱は据えられていた。
　楕円形の幅十センチほどの小箱だった。中心に大粒の丸いアメシストがはめ込まれ、周囲に小さな宝石がちりばめられていた。
「蓋を開けると、中のオルゴールが鳴る仕組みになっています。尤も壊れてまして、開けてもオルゴールは鳴りませんがね。こんな小さな物でも、修理代もバカにならないので、聞く人間もおりませんし、そのままにしてあります」
「綺麗なものですね。このオルゴールはアンティークなんですか？」
「アンティーク調の装飾になっていますが、オルゴール箱自体はそんなに古い物ではないと聞いてます。元々はそのアメシストはネックレスだったらしいですが、それをわざわざ作り直したらしいですな」
「何故、そのような事を？」
「いやぁ、私もあんまり詳しい事は聞いてないもので。オルゴールの元の持ち主の趣味でしょう」
「元の持ち主？」
「これは社長が気に入って、私が持ち主と交渉して手に入れた物でして。あまり細かい来歴は聞いていないのですよ」
「なるほど、そうですか」
「何か気になる事でもありますか？」
「そうですね、失礼を承知でお聞きしますが、このアメシストは本物ですよね？」
　風間は面白そうに出ている腹を揺すった。
「面白い事を言いますな、工藤さん。それは勿論そうですよ。このオルゴール箱に使われているのは、間違いなく本物のアメシストですよ。念のため、譲り受けてから鑑定士に見せています。何なら鑑定書もお見せしましょうか？」
「いえ、結構です。それならいいんです」
　ガラスケースを熱心に覗き込んだまま、新一は答えた。
「ああ、そうだ、工藤さん」
「何ですか？」
　風間の呼びかけに応えて、身体を起こした新一は直後に鈍い音と同時に、後頭部に激しい衝撃と痛みを受けた。
「･･･な･･･？」
　意識が遠のき、ぐらりと身体が傾く。咄嗟に後頭部に当てた手の平に濡れた感触があった。よろめきながら、必死に顔を向けると、背後に立っている男の姿が目に入った。
　秘書の笠原が青い顔をして、分厚いガラス製の灰皿を両手で持っている。灰皿の底に赤く汚れている部分があるのは、恐らく新一自身の血だろう。
「な、にを･･･」
　それだけ口にするのが精一杯だった。傾いた身体は膝を付き、姿勢を保てず、床に倒れ込む。敷き詰められた赤い絨毯が目に入った。まるで、自分の流した血のように錯覚する。
　倒れても、まだ微かに意識があった。風間達の声が聞こえる。
　感覚が遠ざかる中で、頬を抓られる感触があった。少しだけ意識がはっきりする。
「本物の顔です。キッドの変装ではなく、本物の工藤新一のようです」
「そうか。まあ、どちらにしろ同じ事だ」
「本当にこれで良かったんでしょうか、専務」
「今更、何を言うか。元はお前が言い出した事だぞ。凶悪犯罪専門の探偵が、頼まれもしないのに、窃盗事件に関わるのはおかしい、とな」
「確かにそうですが･･･。でも、こんな事をしてどうするつもりですか？　彼が行方不明だと、すぐに気づかれるのではないでしょうか。工藤探偵は警察と懇意にしていると聞きます。すぐに警察が介入してくる恐れがあります。早急に何らかの対策を立てるべきかと」
「何、心配はいらん。この探偵を名乗るガキは、一時期探偵の仕事で行方不明になっていた事があったらしいぞ。たとえ、いなくなったとしても、しばらくは今回も探偵の仕事中だと思われるだろう。まあ、何らかの手は打たねばならんがな。面倒な奴に嗅ぎつかれたものだ。全く、社長も余計な口出しをしてくれる。最終的に、私に投げるくらいなら、始めから任せてくれれば良かったんだ。社会的義務だか何だか知らんが、警察に届け出るなどと言うから、こんなマスコミやら探偵やら余計な虫が寄ってくるんだ。大体、お前もお前だ。何故、社長より先に私に報告しなかった？」
「すみません。ですが、私がカードの入った封筒を見つけたのは、社長室です。中身がキッドの予告状だと分かっていたわけでもありませんし」
「言い訳は聞かん。ふん、まあいい。済んだ事を今更言っても仕方ないからな。次からは、気をつけろ」
　風間は鼻を鳴らして憎らしげに工藤を見下ろし、吐き捨てた。
「全く、探偵なんぞがしゃしゃり出てきおって。面倒事ばかりが増える。ん？　待てよ。確か、こいつは怪盗キッドと因縁があると言っていたな。なら、使い道はあるな」
「どうされるのですか？」
「私にいい考えがある。とりあえず、縛っておけ」
　意識を保てたのは、そこまでだった。その先の会話を聞く前に、新一の意識は途切れた。

（2008.10.19初出　2012.11.24再掲）

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