天に祈りを5

天に祈りを
5

　頭が痛い。
　ズキズキと鈍い痛みが続いている。既に出血は止まっているようだ。目眩も吐き気もない。怪我自体は大した事はなさそうだった。ただ、痛みは引かなかった。
　新一は先ほどまで展示室にいたが、今は別の部屋に移されていた。色々な荷物が置かれており、倉庫代わりに使われている部屋のようだった。
　気絶していた展示室で、腹部に風間専務の爪先を叩き込まれ、強引に覚醒させられた。その後、歩かされ笠原にこの部屋まで連れてこられた。同じフロアの端にある部屋だった。
「何故、こんな事をするんですか？　貴方は自分が何をしているのか、分かっているのですか？」
　連行されている間に笠原に問いかけたが、明確な返答は得られなかった。
「すみません」
　笠原は消え入りそうな声で、そう言った。新一を倉庫部屋に連れてきた後、笠原は簡単な傷の手当てをして包帯を巻いていった。それが彼の出来る限界なのだろう。それでも、新一の傷の手当てをしたのが見つかれば、笠原は風間から叱責されるに違いない。
　手当をされながら声をかけたが、笠原は新一の言葉に耳を傾けようとしなかった。
「笠原さん、よく考えて下さい。貴方は優しい人だ。まだ戻れます。警察へ連絡して下さい」
「工藤さん、こんな事をして本当にすみません。でも、もう戻れないのですよ」
「いや、まだ間に合います。よく考えて下さい。やめましょう、こんな事は」
「すみません」
　笠原は新一の手当を終えると、頭を一つ下げて部屋を出て行った。
　新一は壁に身体を預けて、息を吐いた。

　本当は展示室で、風間に蹴られる前から新一は目覚めていた。
　どのくらい意識を失っていたか分からないが、傷の痛みに覚醒を促されたのだ。何より、近くから聞こえてくる話し声すら、頭に響いて痛みに変わった。寝ている事など出来なかった。
　展示室の絨毯に倒れたまま、新一は自分の意識が浮上しつつあるのを感じた。頭部に響く痛みの中で、自分に何が起こったのか反芻し、整理した。
　怪盗キッドの予告状が出たとの情報を得て、標的である北条産業に赴いた。専務の風間と面会し、言外に歓迎されていない事を肌で感じ取った。しかし、そんな事で怯んでいては探偵など務まらない。気づかないふりで、今回のキッドの獲物である、オルゴール箱にはめられたアメシストを見せてもらった。その直後に、秘書の笠原に後頭部を殴られ、気絶した。恐らく、風間専務の命令だろう。彼にはよからぬ噂があった事は知っていたが、探偵だという理由だけで、すぐに行動を起こされるとは思っていなかった。世間では名探偵と言われる自分自身への過小評価か、それとも噂に聞く風間の悪辣ぶりを見誤ったか。
　それにしても、会話の声がうるさかった。傷に響くと、新一は腹立たしかった。しかし、おかげで意識が随分とはっきりしてきた。そっと、腕を動かしてみる。が、動かない。どうやら、後ろ手に縛られている。ロープは少しぐらい力を入れた程度では振りほどけない。聞こえてくる会話の声から判断すると、今近くにいるのは三人の男のようだった。
　消え入りそうな、どことなく脅えた声は秘書の笠原だ。ふてぶてしく耳障りな濁声は風間専務。あともう一人、穏やかな語り口で耳に心地よい馴染んだ声が聞こえる。新一と対峙する時は、もっと砕けた挑戦的な話し方が多い筈だが。
　怪盗キッド。彼の声が聞こえる。
「仕事内容は分かりました。では、先ほども言いましたが、こちらからも条件があります」
「いいだろう、言ってみろ」
「提示していただいたように、仕事の報酬としてオルゴールはいただきます。それと、わざわざお申し出下さったのですから、工藤探偵の処理もお願いしましょう。あなた方の好きにすればいい。彼がいなくなれば、私の仕事も随分とやりやすくなりますからね」
「そうだろう」
「ですが、一つだけ条件、というかお願いですね、があります」
「何だ？」

（2008.10.19初出　2012.12.31再掲）

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