天に祈りを7

天に祈りを
7

　展示室で、風間の太い足が工藤を蹴りつけた時、快斗は咄嗟に身体が動きそうになった。しかし、今は動くわけにはいかなかった。風間を油断させるためにも、キッドと探偵は対立関係でなければならない。快斗は拳を握りしめた。
　工藤を連れて行った笠原が戻ってきた。その気弱そうな顔が現れると、風間は怒鳴りつけた。
「遅いぞ。部屋に連れて行くだけなのに、どれだけ時間がかかっている。何をしていた！」
「すみません。思ったより工藤様の足取りがふらついて、途中で倒れそうになってしまったので」
「どうせ死ぬ人間だ。引きずってでも何でもすればいいだろうが。それに、あんなガキに様をつけるな。耳障りだ」
「すみません」
「お前はいつもそればかりだな。おどおどしながら、すみませんと謝る。本当にそう思っているのなら、さっさと仕事をしろ」
「すみません」
「全く苛々する。どうして、私のところにはこんなのしかいないんだ」
　それは、見る目のない自分の所為ではないかと思ったが、勿論、快斗はそんな事は口にしなかった。
「風間専務、それよりも、本当に私が盗んでいいのですね」
「ああ、当たり前だ。冗談でこんな事を犯罪者に頼むものか」
　肉叩き棒で叩きたくなるような頬の脂肪を揺らして、風間は鼻を鳴らした。
　この男が盗むように指示したものは、怪盗キッドの得意とする宝石ではなく、書類や資料、データ類であった。それも、同じ北条産業専務である伊勢崎のオフィスから盗んでこいというものだった。
「自分の会社に盗みに入れと命令する重役は珍しいですからね。その書類は何なんですか？」
「無駄口を叩くな。中身を知る必要はない。お前はただ指示された物を盗んでくればいい」
「ふむ。今すぐに、ですか」
「そうだ。伊勢崎のオフィスフロアは、私のフロアのすぐ下になっている。間取りも同じだ。奴は社長の海外支社の視察に同行している。だが、明日には帰ってくる。この機会を逃す手はない」
　怪盗キッドの予告日に社長不在というのも、まずいだろう。予告状が出たため、社長は海外視察の日程を早めに切り上げて、明日帰って来る事になった。風間は、伊勢崎と社長の不在時にキッドと接触するために、予告日を偽ったのだろう。
「今から盗みに入るとして、風間専務のフロアと同じ作りならば、伊勢崎氏のフロアにも中に入るためのパスワードが必要なのでは？」
「それは事前に調べてある。視察に出かける前に、伊勢崎が最後にパスワードを更新しているが、それは控えてある。奴はお人好しすぎるからな」
　伊勢崎氏不在時の緊急事態に備えて、一応教えておいてくれとでも言って聞き出したのだろう。その姿が目に浮かぶようだ。快斗は内心の不快感は押し隠し、気障な仕草で肩を竦めた。
「貴方の個人評価に興味はありませんが。そのフロアを全て家捜ししろと言うのですか？」
「目星はついている。奴が仕事でメインに使っている部屋にある筈だ。笠原」
「はい」
　笠原が返事をして、地図を持ってきた。基本は風間のフロアと同じ作りになっているらしい。中央の部屋に印がついていた。
「この地図をお渡しするわけにはいかないので、覚えて下さい」
「用心深い事で」
　犯罪者に対しては当然か。いや、それよりも、やはり犯罪者を使う事こそが異常なのだ。
「書類の中身を教えていただけないそうですが、それでは探しようもないのですが」
「内容は必要ない。とにかく、お前は奴のオフィスの金庫にある書類、ディスクを全て持ってこい」
「狙いを絞らせない為ですか。それにしても、大雑把ですね」
「うるさい、とにかく早く行って盗んでこい」
「分かりました。ですが、こちらも保険をかけさせていただきます」
「何？」
　快斗はばさりとマントを翻し、一瞬で念のため予め用意しておいた姿に変装する。
「ほほう。これが噂の怪盗キッドの変装か。確かに、そっくりだ。なあ、笠原」
「は、はい。そっくりです」
　風間と笠原の前には、もう一人の気弱そうな顔をした寸分違わない笠原が立っていた。風間が面白がって、キッドが変装した笠原の周りを歩いて、前後左右からその姿を検分した。
「本当に、これは凄いな。本物と全く区別がつかんぞ。確かに、あのバカみたいな白い格好で動き回っては、目立って仕方がないからな。しかし、何故わざわざ笠原なんぞに変装する。どうせなら、伊勢崎に変装すれば問題なかろう」
「人に見つかった時に、海外に行っている筈の人間がいたら、逆に怪しまれてしまいますよ。笠原さんならば、風間専務付秘書とはいえ、こちらの社員でありますし、例え伊勢崎専務のオフィスで目撃されても、いくらでも言い逃れる事は出来ます」
　既にこのビルへ侵入するために、25階以上に設置している監視カメラには細工済みである。本来は自分の盗みのための仕掛けだったが、思わぬ所で役に立った。細工をしたカメラは、誰が通ろうが何事も変りのない状態の画像を警備員に提供し続けるだろう。
　もし、これが風間の罠で、他の目的や、万が一伊勢崎のオフィスに侵入中に通報されても笠原の姿をしていれば、風間側も疑われる可能性が出てくる。快斗が風間側の人間である、笠原の姿にしたのは、風間が変な動きをしない為の牽制であった。どう利用されるか分からない以上、最低限の変装は必要だった。
　一応、今回の件のために用意した変装の中には風間の姿もあったが、さすがに、今、目の前で彼に変装しても、その姿で窃盗をするのは本人が拒否するだろう。この手のタイプは、他人に責任や負担を押しつけるのが得意な反面、自分に対する不利益には敏感に反応する。そういう理由で、笠原の姿を借りておけば風間から文句は出ないと考え、快斗は始めから笠原に変装したのだった。
「では、伊勢崎専務のフロアに入るためのパスワードを教えて下さい」
　怪盗キッドは笠原の顔で、気弱そうな笠原らしくない不敵な笑みを浮かべて、怯えた表情の笠原に向けて話しかけた。

（2008.10.19初出　2013.01.27再掲）

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