Hide-out16

Hide-out
16

「･･･ここは親父との秘密の場所だったんだ」
　項垂れた怪盗から言葉が零れ落ちた。ベッドに座る新一の前に膝を付き、告白を始める彼はまるで懺悔室にいる人間のようだ。神に見捨てられた仔は何に救いを求めるのか。
　突き放す事も出来ず、新一は黙って怪盗の言葉の続きを待った。
「小さい頃に何度か連れて来られた。この家を知っているのは、親父とオレだけだった。母さんにも他の誰にも内緒の場所だった。でも、親父が死んで、この家の事をオレはすっかり忘れていた。いや、親父が死ぬ少し前にこの家に来た時、忘れるように暗示をかけられたみたいだ。親父は自分が死ぬのを、･･･殺されるかもしれない危険性に気づいていたのかもしれない。親父が死んで、オレはここの事を忘れて過ごした。八年後に親父が怪盗キッドだったと知った時に、ここの記憶も蘇った。親父と交わしていた約束も思い出した」
「約束？」
　怪盗が語る黒羽盗一氏の死について気になりはしたが、今は詳しい追及は後にした。新一はただ目の前の怪盗が続ける言葉を聞いてやる。
「ああ、親父はオレに言ったんだ。〝もし、この家の事を思い出して、それで一人でここに来るような事があったなら〟」
　怪盗は言葉を区切った。
「〝この家を、この家の中にある物全て、一つ残らず燃やしてくれ〟って」
「何で、燃やせって？」
　怪盗は項垂れたまま首を横に振った。
「親父の真意は分からない。でも、多分、名探偵が写真を見つけたように、ここには黒羽盗一や黒羽快斗と怪盗キッドを結びつける物が多すぎるんだと思う。だから、親父は燃やせって」
　恐らく、一人で来る事が重要な点なのだろう。それは間違いなく、自分の死を意味しているのだ。
　しかし、全てを思い出した筈の息子はいまだ約束を果たせずにいる。
「ここは、親父とオレの玩具箱なんだ。ここで親父から色んな遊びやスポーツやマジックを教わった。柱の傷一つにも、オレは親父とどんな言葉を交わしたか思い出す事が出来るんだ」
　幼い頃に父親を亡くした彼にとって、数少ない大切な思い出。しかし、その場所を自分の手で消さなければならない。それもまた父と交わした大事な約束である。それが、新一が怪盗から感じ取った迷いの正体。
「親父との約束は果たさなくちゃいけない。でも、ここがなくなるのは嫌だった。ここがなくなって、そしてオレも死んだなら、この場所の事を誰も知らなくなる。だから･･･」
　怪盗が顔を上げた。新庄の顔をしているが、その瞳は置いていかれた子供のようだ。
「口止めなんかじゃなくて、本当は誰かに、いや、名探偵にこの場所を覚えていてもらいたかったのかもしれない。･･････いや、やっぱり、それも違うな」
　肩を落として力なく怪盗が笑う。それは泣き顔のようだ。
「オレはただ、お前を抱きたかっただけなんだ。きっと、抱くための理由を探していたんだ」
　新一はもう何度目か分からない溜息をついた。思わずこめかみを押さえる。
「お前、オレは男だぞ」
　改めて言わなくても、怪盗は新一の身体の全てを見て知っている。バカな事を言っている自覚は新一にもあった。だが、念を押さずにはいられなかった。けれど、見つめてくる怪盗の瞳は揺らがない。
「うん。分かってるよ。でも、オレは真直ぐにオレを、怪盗キッドを見つめてくる名探偵の瞳に捕まっちまったんだ。多分、初めて会った時から」
　おずおずと怪盗の手が伸ばされて、新一の頬に触れた。冷たい指先に、彼の緊張が伝わってくる。

「最初からやり直してもいいか？」

　その言葉が何を意味しているか分からないほど、新一も鈍くはなかった。
　いつもは不敵な笑みを浮かべ、警察を手玉にとり、大衆を楽しませる泥棒が、今は自分の弱さを晒け出している。
　反則だと思う。こんな他には人のいない場所で、捨てられた子犬のような瞳を見せられたら、優しくしたくなるではないか。
　人格を否定する暴力を受けたというのに。
「触れてもいいか？」
　どうして、頬に添えられた手から逃げようとしないのだろうか。
　どうして、拒絶の言葉を叩きつけられないのだろうか。
　どうしてと疑問は巡るが答えは出ない。いや、頬に触れた手を受け入れている、その事実が答えだ。
「お前、バカだろ」
　新一の言葉に怪盗は眼を丸くする。
「その前に、他に言う事があるだろ」
　少しだけ首を傾げて、怪盗は新一の頬から手を離した。
「酷い事をした。謝って済む問題じゃねえけど、ごめん」
「謝罪はもう聞いている。その後だ」
　新一は不貞腐れたように横を向いた。
「ちゃんと全部言えよ。オレはまだお前の名前だって、お前の口から聞いてないぞ」
　戻された新一の視線を、その意図を、怪盗は正面から受け止めた。
「オレの名前は黒羽快斗。二代目の怪盗キッドで、オレは、工藤新一が好きだ」
　その言葉を受けて、新一は怪盗に手を伸ばした。その髪を掴む。怪盗の抵抗はなかった。新一が引っ張ると、ずるりと新庄の髪がずれた。新一の手が無造作にカツラを床に落とすと、その下からふわふわの癖毛が現れた。輪郭をなぞるように探偵の手が降りてきて、人肌を模した特殊樹脂のマスクに指がかかった。バリッと音を立てて、新庄のマスクを剥いだ。カツラの上にマスクを落とす。
　マスクの下から現れたのは、どことなく愛嬌のある整った顔立ちだった。黒羽盗一と写真に写っていた子供の面影が残っている。
「黒羽快斗」
「うん」
　素顔を晒した怪盗が首を伸ばして、新一の唇に軽く触れて、すぐに離れた。
「新一って呼んでもいいか？」
　しなやかな手が、いつの間にか新一の指に絡まるように重ねられている。真直ぐに見つめてくる瞳に気恥ずかしさを感じて瞳を逸らした。
「別に、かまわねえよ、キッド」
「オレの事は快斗って呼んでくれよ、新一」
　下から覗き込むようにねだる瞳に困って、新一の瞳が彷徨う。
「なあ、呼んで？　快斗って」
「･･････快斗･･･」
「うん。新一、大好き」
　再び快斗の唇が触れてくる。今度はすぐには離れずに深い口づけになった。

（2007.03.18初出　2009.12.06再掲）

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