 |
窓を閉じて下さい | |
| Hide-out 5 |
| 身体が重い。指一本持ち上げる事も出来ない。 朦朧とする意識で、自分は何をしているのか考える。 確か、怪盗キッドに関わる本を探しに来て、辿り着いた屋敷で、キッド本人に遭遇したのだ。それで、何か怪しげなガスをかけられた。多分、あの泥棒お得意の催眠ガスの類だ。だから、こんなに身体が重いのだと新一は納得する。本当に少しも身体が動かなかった。それでも新一は気力を総動員して、瞼を上げた。睫毛一本一本にも重しが付けられているようで、瞳がちゃんと開かない。僅かに開いた視界の中で、薄暗い闇にぼんやりとした明かりが浮かび上がって見えた。 「？」 何だろうと眼に力を入れる。そのぼんやりとした明かりがスタンドの光である事に気づいた。その明かりの下で作業している手が見える。長くしなやかな繊細な指。その手を新一は知っている。普段は白い手袋に包まれ、夜を従え、色鮮やかな魔法を生み出し、華麗に宝石を盗み出す手だ。 「･･･キッド･･･」 そう呼んだつもりだったが、呂律は回っていなかった。怪盗に吹き付けられた催眠ガスの効力がまだ切れていないようだ。それでも、意味不明になってしまった声に気づいて、作業している男の顔が新一に向けられた。 その顔はやはりまだ俳優の新庄功のものだった。彼が新一の前で変装を解く謂れはない。それでも、いつもの白い衣装ではない彼を少しだけ残念に思うのは、ガスでまともな思考能力がない所為だと、新一は結論付けた。 新庄の姿を借りたキッドが立ち上がり、横たわっている新一に近づいてきた。 「お目覚めですか、ジョゼフィーヌ」 新庄の顔をしたキッドは力の入らない新一の手を取ると、その甲に唇を寄せた。 ジョゼフィーヌとは皇帝ナポレオンの妻の名前だ。数年前に、小学生の姿でキッドと対決した時の事件に関係のあった芝居になぞらえているのだ。からかわれていると分かったが、ガスの効き目が強すぎて、まともに反応できない。気力を掻き集めていなければ、瞼は閉じて再び意識を手放してしまいそうだ。 本当なら、今すぐに手を振り払い、罵声を浴びせ、その顔を掴んで化けの皮を剥いでやりたいのに、意識を裏切り、身体に全く力が入らない。見透かすように、新庄の顔をしたキッドが苦笑した。 「流石の名探偵でも、まだ起きるのは無理だ。催眠ガスの効力が切れていない。もう少しそのまま寝ていた方がいい」 上辺だけの殊勝な表情を、腹の底から怒鳴りつけてやりたかった。『ふざけるな！ 現場以外でまでお前に振り回されてたまるか』と。 けれど、唇は僅かに震えただけで、声は掠れて、吐息だけが漏れた。 「何を言ってんのか、分からねえよ」 困ったような新庄の声をしたキッドの言葉が落ちて、その指先が新一の唇に触れた。 「ごめんな、名探偵。でも、お前が悪いんだぜ。こんな所まで追ってくるから」 気力の限界と、苦しそうに歪むキッドの顔を見ていられなくて、新一は瞳を閉じた。加害者はキッドの方なのに、被害者の新一が罪悪感を持つのは間違っている。そう思ったが、閉じた瞼は重たくて、再び開ける事が出来なかった。 「本当にごめんな。少しだけ我慢しててくれ」 言葉と共に首の周りにキッドの手が触れて、カチャカチャと音がする。眠りの泥に意識が引きずられかけている新一には、その音が何を意味するのか、何をされているのか分からなかった。 キッドの手が離れて、唇に柔らかく温かいものが触れた。瞳を閉じている新一には、やっぱりそれが何かは分からない。考える事も出来ずに、新一の意識は眠りに飲まれていった。 （2007.03.18初出 2009.11.19再掲） |
|
窓を閉じて下さい | |