Masquerade10

Masquerade
10

　頭部に白い包帯を巻いた工藤はよく眠っていた。呼吸の安定を確認して、宮野志保の表情は、少しだけ柔らかくなる。尤も、その変化が分かるのは、ごく限られた人間だけではあるが。その限られた人間の一人である黒羽が、宮野に声をかけた。
「とりあえず、表面の出血だけで内部は大丈夫だって。まだ抗生剤と鎮痛剤が出ているから、多分それで眠っているんだと思う」
「そう」
　警察無線に直接入った緊急要請により、突入した警官隊は星川社長の執務室で、倒れている三人を発見した。三人とも、すぐに病院へ緊急搬送された。星川と山本は快復を待って、逮捕状が執行される。他にも、屋敷内に多数の武器と共に昏倒している男達が発見された。全て怪盗キッドの催涙ガスにやられたらしい。盗まれたルビー〃暁の女神〃が、中森警部親展で警視庁に届けられたのは、後日の話である。
　山本に殴り倒された探偵の工藤新一は、検査の結果、頭蓋内に出血等の異常は見られなかった。念のため一晩入院し、その後再度の検査でも異常がなかったため退院となった。
　迎えに来た黒羽の車で帰ってきた工藤はまだ本調子ではないらしく、帰宅するなりベッドに直行した。
「疲れた」
　そう言って、工藤はすぐに寝入ってしまった。黒羽の車が戻ってくるのを見て、隣家の宮野志保が見舞いに来たのは、その直後だった。
　黒羽が工藤を起こそうとしたが、別にいいと宮野は黒羽を制した。
「ごめんね、宮野さん。工藤に怪我させて」
「別に、貴方の所為じゃないわ。この探偵さんが無茶なだけで」
　そこで言葉を切って、まじまじと宮野は黒羽を見た。
「それとも、貴方は、工藤くんの怪我の原因を自分だと認めるのかしら？」
「少なくとも、もっと気をつけておけば良かったと思っているよ。工藤、ここの所、家に帰ってきても何かおかしかったから」
「･･････そう」
　言質を取られないように言葉を選んでいる黒羽に、宮野は改めて向き直った。
「私が訊く事でもないけれど、折角いい機会だから、訊いておくわ」
「何ナニ？　宮野さんの質問なら、何でも答えちゃうよ」
「そう。嬉しいわ」
　宮野はちらりとベッドに眠る工藤の顔を一瞥した。
「貴方は、どうして工藤君の前に現れたの？　貴方という存在が投げかける謎のおかげで、工藤君はぐちゃぐちゃだわ」
　女科学者は実験データを分析するのと変わらない表情で、黒羽を見る。黒羽は表面には決して見えない科学者の優しさに笑みを零した。
「宮野さんに心配されるなんて、工藤は幸せ者だな」
「茶化さないで。心配なんてしていないわ。ただ元共犯者としての単純な興味よ」
　『元共犯者』。その言葉の意味には触れずに、黒羽はベッドに近寄り、眠っている工藤を覗き込んだ。その前髪をさらりと掻き上げてやる。あまり日に当たらない肌に映える白い包帯は、痛々しく見えた。
「どうして、工藤の前に現れたのか、か。そうだね。多分、偶然と必然の産物かな。もしも、偶然がなければ、きっとオレは自分で工藤に会いに来ていた。だから、今、オレが此処にいるのは、必然なんだよ」
「そう」
「それと、残念ながら違うよ、宮野さん。工藤はオレの所為でぐちゃぐちゃになったりしない。工藤は探偵だよ。もしも謎があれば、とことんまで突き詰めて行くに決まっている。謎を前にして、足踏みなんてしない。そんな工藤がオレの為に揺れる事はないよ」
　宮野は大仰に溜息をついて見せた。
「貴方達って、どうしてそうなのかしらね」
　黒羽快斗の前では探偵ではなく、ただの工藤新一になっているのだ。だから、彼は謎を突き詰められずにいる。それに気づいていないのは、工藤本人と黒羽だけだ。
「でも」
「え？」
「もし、本当に工藤がオレの所為でぐちゃぐちゃになっているのだとしたら、これほど嬉しい事はないね。工藤が、事件の事じゃなくオレの事を考えてくれるなら、そんな幸せな事はないよ。その為なら、たとえ工藤がぐちゃぐちゃに悩んでも、謎のままでいたいな」
　そう言って、優しい眼差しで工藤を見つめる黒羽は、この上なく幸せそうだ。
「貴方、真性だったのね。余計な事を訊いたわ。好きにすればいいわ」
　一方通行の両想いに、宮野は大きく溜息をついた。

（2009.08.30初出　2011.12.27再掲）

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