Noon-Star9

Noon Star
9

　新一がキャンパス内の広場を横切ると、小さな人だかりが出来ていた。何かと思って覗くと、中心に黒羽快斗がいた。
　彼の依頼を断った後も何が気に入ったのか、黒羽は新一を見かけると声をかけてくるようになった。明るく愛嬌のある彼なら友人には事欠かないだろうが、探偵という人種が珍しいのか、それとも何か思うところがあるのか。他の学生が、既に社会的地位を築きつつある探偵工藤新一という、どことなく近寄りがたい存在を遠巻きに見ているのとは対照的に、黒羽は遠慮なく近づいてきた。
　黒羽は新一の空いている時間を狙い澄ましたように声をかけてくるので、その行為そのものは迷惑ではなかった。一度依頼を断って以来、新一の忠告を聞いたのか、追いかけてくる子供の話題を持ち出す事もなかった。新一との会話もたわいのない内容が多かったが、頭の回転の早い黒羽と話すのは楽しかった。互いの手を読み合う、怪盗と探偵とは違う、ただの友人という関係が、新一と黒羽の間で成立していた。
　黒羽はキャンパス内の広場の一角で、簡単なマジックを鮮やかに披露していた。彼がマジシャン志望である事はすぐに知れ渡り、よくマジックを催促されていた。気さくで人を楽しませる事に長けている黒羽は、すぐに他の学生達と打ち解けた。記憶の一部を失っているという事実をハンデにすることなく、学内外の友人も多く作っているようだった。今も恐らく他の学生にねだられて、即席のマジックショーになったのだろう。
　大仕掛けのものはなかったが、軽快なトークに乗って、黒羽の指先からまるで魔法のように数々の奇術が生み出されていく。黒羽が笑顔を見せる、たったそれだけで、空気が変わる。広場の一角はあっという間に、黒羽の為のステージになる。彼の手並みは確かで、テレビに出ているようなプロと比べても遜色なかった。尤も、彼はもっと大勢の人間の前で、決して失敗の許されない様々なマジックを披露した強者である。たとえ、覚えていなくても、指先が積み重ねた鍛錬は無駄にはなっていないだろう。
　黒羽はそうやって、世界的に有名だった父親の跡を継いでプロのマジシャンになればいい。幼い頃見た盗一氏のステージを新一は子供心に、感動したのを覚えている。たとえ、記憶の一部がなかったとしても、黒羽ならきっと、父親と同じように素晴らしいステージを作り上げるに違いない。新一は黒羽のマジックに盛り上がっている人の輪のから、静かに離れた。
「あ、工藤、ちょっと待てよ」
　気づかれてないと思ったが、黒羽は目ざとく新一を見つけていた。
　ブーイングの学生達に、「悪い、また今度ね」と軽く挨拶をして、歩いている新一に追いついた。
「何だよ、待ってくれてもいいだろ」
「別にオレには用はない」
「工藤、食堂行くんだろ？」
「ああ」
「オレも腹減ってたんだ。一緒に食おうぜ」
　最近では時間が合うと、二人で食事をする事もあった。出来るだけ黒羽との距離を保とうと思っていたが、新一の気持ちを知っているのかいないか、黒羽は遠慮なくその距離を詰めてくる。一人がいいと、変に意固地な態度を取れば、逆に聡い黒羽の不審を呼ぶ可能性があった。たとえ記憶を失っていても、黒羽は人の機微に敏感だった。
「好きにしろ」
　彼を遠ざける理由は思いつくが、それでも、やはり黒羽と機知に富んだ会話をするのは楽しい。彼の記憶が戻る事など望まないが、友人関係を否定するには、彼は人間として魅力的だった。
　一緒に歩いていて、不意に黒羽に腕を掴まれた。
「な、何だよ？」
　前触れもない黒羽の行為に驚いて、振り向いた。そこには苦しげに顔を歪めた黒羽の顔があった。
「悪い。何でもない」
　すぐに視線は逸らされて、黒羽の手は新一の腕から離れていった。一瞬、かつて腕を掴まれた夜を思い出して、鼓動が早くなったのには気づかないふりをする。
「どう、かしたのか、黒羽？」
「何かちょっと思い出せそうな気がして。でも、ダメだった。ごめん、驚かせて」
　自分の手のひらを見て、それから新一に視線を移して、黒羽が苦く笑った。日常生活に何の支障がなくても、黒羽は記憶を取り戻そうと足掻いている。失われた記憶の欠片が、白い幻影が彼を呼ぶのだろうか。それとももう居ない子供か。
　黒羽は見えないけれど、確かにそこに在るはずの何かを掴もうと苦しんでいる。
「工藤？　どうした？」
「ああ、いや、何でもねえ」
　立ち止まった新一を、先に進んだ黒羽が振り返る。黒羽に向けて、友人としての笑顔を浮かべる事で、本当は彼を裏切り続けているのかもしれない。
　空には、梅雨の始まりを告げるような暗く重い雲がたれ込めていた。

（2008.06.21初出　2011.10.18再掲）

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