respect15

Respct！　15

　しかし、ベルツリー号の時の二人組と違って、藤岡は迷う事はなかった。キッドを無視して新一を狙う。　
　怪盗は探偵を援護すべくトランプ銃を藤岡に向けるが、殺傷能力のない銃を藤岡は恐れなかった。
「人を殺す気のない奴が、他人を守れると思っているのかよ」
　藤岡は嘲笑して、ズボンの後ろポケットに手をやった。新一の首筋の後ろがちりちりと悪意を感じ取る。
「キッド、逃げろ！」
　藤岡が取り出したのは、手榴弾だった。にやりと藤岡が醜悪な笑みを浮かべる。
「お前は寝てろ」
　ピンを口で引き抜き、手榴弾をキッドへ投げつけた。
「キッド！」
　至近距離での爆発。白い姿が咄嗟に後方へ飛ぶのが見えた。新一も身体を低くする。
　爆風と煙は、その場全体に広がった。
　高度四百メートルの強風が、すぐに煙を吹き飛ばした。流れていく煙の中から藤岡の姿が現れる。
　床に伏せていた新一に銃口を向け、藤岡は勝ち誇った。
「邪魔者はいなくなったぜ。さあ、これで終わりだ、探偵さんよ」
「さあ、それはどうでしょうか？」
　最後に流れる煙の中から、白い怪盗が姿を現す。優雅にマントを捌いて、無傷をアピールしている。キッドは不敵に笑い、片眼鏡が月光を冷たく弾いた。
「しつこい奴だな」
「それは、お互い様でしょう」
　重低音が響き出した。
「何だ？」
　藤岡が周囲を見回した。キッドは笑みを崩さない。
「ほらほら、よそ見をしていると危ないですよ、藤岡さん？」
　音は、重機のエンジン音だった。藤岡が気づいた時には遅かった。重機のアームが動き出し、藤岡は自分がその軌道上にいることに気づいた。横に飛んで、鉤型になっているアームの先を避けた。
「畜生、仲間がいたのか」
「ハズレです」
　キッドの笑みがますます深くなる。
　見れば、重機の運転席は無人だった。中を確認できれば、手製の時限式コントロールボックスが取り付けられているのが、見えただろう。しかし、外から見上げるだけでは、そんな事は分からない。
　無人の運転席に驚いた藤岡の動きが、一瞬止まる。アームは決められた動きを続ける。キッドは、藤岡の動きを予想して、その軌道を設定していたのだ。計算され尽くした動きで、藤岡の身体にアームの先が当たった。
「ぐっ」
　アームの回転は止まらない。藤岡の身体は弾かれ、置かれていた鉄棒の山に突っ込んだ。派手な音を立てて、鉄の棒が藤岡の上に崩れた。
　頭から突っ込み、鉄の棒が布団代わりになった藤岡が呻いた。
「たいがい丈夫だな、あのおっさんも」
　キッドが新一と肩を並べ、物言いたげな新一の視線を受けて肩を竦めた。
「外に落としてやっても良かったけど、さすがにあんな奴を殺して殺人罪に問われるなんて、バカらしいからな。ちゃんとアームの向きもスピードも計算したぜ。名探偵の前で人殺しなんて出来ないからな」
「そうか」
　新一は息を吐いた。藤岡が助かった事より、キッドの手が汚れなかった事に安堵した。
「しかし、手榴弾まで用意しているとはね。さっきは助かったよ、工藤」
　工藤の「逃げろ」の言葉で、キッドは藤岡が手榴弾を投げるより早く回避行動を取ることができた。
「別に。大した事はしてねえ」
「さて、まずは傷の手当てをしないとな、名探偵」
　頬の傷に触れようとキッドの手が伸ばされ、新一は思わずびくりと反応した。その反応にキッドが驚いて、手を引っ込めた。
「ごめん、何もしねえよ。手当てだけだ」
「いや、そうじゃなくて…」
　その後の言葉が続かなかった。目の前に立つ、キッドの肩越しに藤岡が見えた。上に乗った鉄棒の間から藤岡が傷だらけになりながら、それでも必死に腕を上げ銃口を向けていた。
「死ね」
　直接的な言葉と共に、凶弾は発射された。立ち位置からすると、狙いは怪盗キッドだ。新一は、ちょうど彼を盾にしている形になる。
「キッド！」
　とっさに怪盗の身体を押し退けていた。凶弾は、新一の肩に当たった。銃弾を受けた衝撃に、ぐらりと後ろにバランスを崩した。
「名探偵！」
　崩れた姿勢を立て直せなかった。新一は工事現場の縁に立っていた。背後によろめいて支えるべき足場を失い、新一の身体はスカイツリー第一展望室の屋根から外側に落ちた。
　キッドは催眠ガスの詰まったボールを、藤岡に投げつけた。身体に当たったボールが破裂して、極彩色の煙が藤岡を包む。鉄の棒が上に乗り、腕を顔まで上げる事すらままならなかった藤岡には、催眠ガスを防ぎようがなかった。ガスを吸い込んだ藤岡は、自嘲するように「ここまでか」と呟いて昏倒した。
　藤岡という人間を象徴するように、意識を失っても、彼が拳銃を手放すことはなかった。
　キッドは藤岡の様子に注意を払う事はなかった。少しの迷いも見せずに、白いマントをなびかせながら、新一の後を追ってスカイツリーの屋上から飛び降りた。

　四百メートルの高さからの自由落下。しかし、新一には不思議なほど不安はなかった。両腕と両足を大きく広げ叩きつけてくる風を捕まえ、少しでも空気抵抗を大きくして、落下速度を落とす努力をする。そして、新一は風を切る音の中、耳を澄ます。
「工藤！」
　ほら、風にかき消され、聞こえる筈もない声が聞こえる。ハートフルな泥棒が自分を追って、飛び降りて来たのだ。

　あの飛行船から落とされた時のように。

　新一が両手を広げ姿勢を保つ。視界の隅に、白いマントが翻った。
　あの時は、抜けるような青い空と白い雲、眼下に紺碧の海だった。今は深い夜と輝く月光、煌めくイルミネーションの海が広がっている。
　怪盗の強い腕が背後から新一を抱きかかえる。同時に怪盗はマントを帆にして、グライダーを広げる。
「捕まえた」
　泥棒が探偵に言う科白じゃない。新一は苦笑した。
　怪盗の腕がしっかりと新一の身体に回される。その腕の強さに安心感を覚えた事など、本人には内緒だ。
　スカイツリーに向かって、赤色灯をつけたパトカーが列をなしているのが見えた。藤岡の確保に来たのだろう。
「終わったな」
「ああ」
　風を捕らえて、白いグライダーは東都の街と夜に滑空した。

（2010.8.22初出　2024.10.28再掲）

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