respect8

Respct！　8

　夏の公園に、子供達の歓声が響き渡っている。
　公園の小さな森の中で、新一は黒羽快斗と対峙していた。蝉がジージーと鳴いて、暑さを増長させる。
　新一は不機嫌さを隠そうともせずに腕を組み、黒羽を睨み付けた。
「で、どういう事か説明してもらおうか」
「説明も何も、オレが木の上で気持ちよく昼寝をしていたら、公園にバイクで入ってきたバカがいたから、注意しただけだぜ。何か、おばちゃんみたいな喋り方になっちまったけどな。お巡りさんだって本当に呼ぼうと思ったんだけど、たまたま近くをパトカーが通りかかって、バイクの奴が勝手に勘違いをしてくれたから、まあいいか。ってな結果オーライになっただけさ」
「つまり、偶然だったと？」
「そ、偶然。それにしても、奇遇だな、工藤。また会うなんてさ」
　黒羽がにっこりとポーカーフェイスの笑顔を見せた。無邪気な笑みで、全ての真実を覆い隠す。
　バイクへの注意の声は、間違いなく中年の女性の声だった。完全に、黒羽とは声が違う。変声機を使わずにあの声を出したのなら、新一には黒羽の正体に心当たりは一人しかいなかった。だが、こんな所で腹の探り合いをしている場合ではない。
　新一は気を静めるように、息を吐いた。
「偶然か。ならいい」
　くるりと新一は踵を返して、歩き出した。
「おや、つれない。ちょっと待てよ、工藤」
　黒羽が追い縋ってきた。
「何だ？　オレに何か用でもあるのか、黒羽？」
「そういう訳じゃないけど、こんな偶然もそうある訳でもないだろ。ちょっとお茶でもしないか？」
「ナンパなら、他の奴に相手にしろ。悪いが、先を急いでいるんだ。放っといてくれ。ああ、さっきは助かった。ありがとう」
　おざなりに礼を言い、黒羽を置いて新一は足早に公園を出た。
　理由は知らないがここ数日の視線の主は、恐らく黒羽快斗だったのだろう。もしも、黒羽の正体が新一の予想通りだとしたら、理由も想像がつく。それは、多少なりとも新一の矜持を傷つけかねないものではあるが、今それを突き詰めている暇はない。そして、それは決して新一や周囲の人間に危害を及ぼすものではないと、新一は確信できた。だからこそ、対応を後回しに出来る。黒羽に対し、その無条件の信頼を自分が寄せている事実を苦々しく思いながら、今新一にとって重要なのは、藤岡の方だった。
　黒羽が偶然だと言い張るなら、今はそれでいい。どうやって、その偶然を演出したのか気になるところではあったが、藤岡と監視する視線という、二つあった懸案のうち一つが解決した。これで、新一は藤岡に集中が出来る。
　公園を出て、駅に向かう。念のため、いつも自分が使うのと違う道を選んだ。途中で大通りに出て、タクシーを拾った。
「警視庁までお願いします」
　タクシーに乗り込み、新一は一息ついた。
　普段なら警視庁には電車で行く。流石に、学生の身でタクシーで乗り付けるような真似はしない。だが、バイクの男に狙われた以上、不用意に街中を歩く気にはなれなかった。いつ、歩行者を巻き込むとも限らない。しかし、タクシーに乗って安心したのもつかの間、すぐに自分の考えが甘かった事に気づいた。
　ふと聞こえたエンジン音に、背後を振り返った。あのフルフェイスのバイクが見えた。信号待ちで止まった車列の間を縫って、バイクは近づいてくる。偶然ではないだろう。ハンターは明らかに獲物を狙っている。
「すみません、ここでいいです」
　新一は咄嗟に料金メーターを確認して、それ以上の紙幣を置いて、タクシーを飛び出した。
「お客さん、お釣り！」
「取っておいてください」
　大通りを外れて、狭い路地に飛び込む。相手がどこまでやる気か分からないが、むき出しでショットガンを肩にかけているぐらいだ。容赦を期待するのは愚かだろう。それに、これは新一の予想だが、バイクの男はかつてテロ組織の赤いシャム猫を名乗った傭兵達と近いものだろう。かなりの大規模な窃盗グループであったから、全員が逮捕できていないのかもしれない。彼がもし当時は後方支援だった傭兵で警察の手を逃れ、今回また新たに藤岡に雇われたとしたなら、新一も相当の覚悟で立ち向かわなければならない。相手は戦争のプロなのだから。
　置かれているゴミ箱を倒して、障害物を作りながら、新一は路地を逃げる。バイクは倒れたゴミ箱を蹴散らしながら、追ってくる。
　路地を出たところで、もう一台、バイクが近づいてきた。追ってくる男と同じフルフェイスに、防弾チョッキを兼ねていると思われるライダースーツ、そしてショットガン。こんな物騒な装備の男が偶然居合わせるわけはない。ハンターは一人ではなかったのだ。
「工藤、こっちだ！」
　その時、不意に名前を呼ばれた。ある予感を持って、新一は振り返った。果たして、黒羽快斗がそこにいた。黒羽はバイクに乗っていた。
「乗れ！」
　迷っている間はなかった。
　新一は黒羽のバイクのタンデムシートに軽やかに飛び乗った。同時に、黒羽の操るバイクは最大出力で走り出した。

（2010.8.22初出　2024.03.26再掲）

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