夏の思い出9

Summer　Memorｙ　9

　力が入らなくて走れないキッドに肩を貸し、出来るだけの早歩きで出口を目指す。歩きながら、キッドが訊いてくる。
「なあ、この屋敷は何なんだよ？」
「オレが知るか。それよりも、お前の方こそあの後何があったんだよ」
「あの後って？」
「オレの家から帰った後だよ」
　何とか顔を赤くせずに、平然を装って言えた、自分の演技力に新一は満足した。
「あの後は･･･工藤の家から飛んで帰ろうとして、途中で首飾りを落として･･･あ、首飾り、工藤、どこにあるか知ってるか？」
「知るわけないだろう。何、お前、アレ落としたのか？　信じられねえ。返すものだろうが」
「まあ、そうなんだけど。それで、それを探して下に降りて、木に引っかかっているのを見つけたんだ。それを取ったら、女の人が声をかけてきたんだ」
「女？　小泉さんか？」
「何で、そこで紅子の名前が出てくるんだ？って、何で工藤が紅子の事を知ってるんだ？」
「別にいいだろ」
　怪盗のクラスメートの魔女が、怪盗の行方を捜して、探偵の家を訪ねてきた。それは言葉にしようとすると、とても陳腐に思えた。
　何より、自分でもよく飲み込めていない事態を他人に説明するのは、面倒だった。
　ようやく二階の廊下が終わり、一階の玄関ホールへ降りる階段に辿り着いた。
　背後から、メイドの声が聞こえてきた。
「大変大変。お客様がお帰りになってしまいます」
　振り向くと、メイドの顔が見えた。
「げ」
　一番奥の部屋の前に、メイドの頭だけが転がり出て、廊下にちょこんと立っていた。多分、身体は縛られて動けないからだろう。あり得ない角度に曲がる首だ。胴体から離れて転がるなど造作ないに違いない。
「えーっと、工藤、コレは夢、かな」
「そうだな。多分、夢だ。オレ達は夢を見ているんだ。間違いない」
　とりあえず、意見の一致を見たところで、新一はキッドの身体を抱え直して、急いで階段を下り始めた。夢にしろ、この状態だと、あのメイドは首のまま転がって追いかけて来そうだ。その姿を想像するだけで、悪い夢だ。できれば、見たくない。
　しかし、メイドが追いつくより早く、石造りの階段は二人が降りている途中で、土に変わった。
「え？」
　土に変わった階段は、足下から崩れ始める。
「うわわわっ」
　慌てて階段を下りるが、間に合わない。土に変わった階段と共に、新一とキッドは玄関ホールの床に叩きつけられた。
　幸いにも、半分までは何とか階段を下りられていたので、高さはなかった。元は階段だった土もクッション代わりになった。
「イテテテテ。おい、工藤、大丈夫か？」
「ああ、何とか。お前こそ大丈夫かよ、キッド」
「おう、怪我はないぜ。相変わらず身体に力は入らないけどね」
　身体を起こした二人の前に、新たな女性が現れた。
「まあ、どうかなさいましたか？」
　レースと金糸に飾られた黒いゴシック調のドレス。結い上げた金色の髪。手には扇を持っている。先ほどのメイドよりも更に白い首筋から胸元を飾っているのは、『真夏の夜の夢』と名付けられた呪われた首飾り。
　その出で立ち、物腰から、その女性こそがこの屋敷の主なのだろう。キッドが言っていた女だと、何故か確信した。
　新一は立ち上がり、女性と真っ直ぐに向き合った。
「貴女が、ここのご主人ですか？」
「ええ、そうですよ。でも、あなたを招いた覚えはありませんわ、不躾な探偵さん。どうやってここまで辿り着けたのかは存じませんが、すぐにお引き取りいただけますかしら」
　貴婦人が閉じた扇で掌を軽く叩いた。すると、呼応するように、元は階段だった土の山が次々と盛り上がり、何体もの人の形を作っていく。先ほどのメイドと全く同じ顔、姿をしたメイドが、土と同じ量だけ現れた。全てのメイドの手には、同じように斧が握られている。
「ちょっとヤバくね？」
　新一と背中合わせに立ったキッドが呟く。笑みは引きつっているが、新一と同じようにこの状況を打開すべく、考えを巡らせているのは分かっている。
　貴婦人はにこやかに微笑み、出来たばかりのメイド達に命令を下した。
「そちらの白い方は私のお客様ですから、いつまでもここに居てよろしいのですよ。ですが、こちらの方は言う事を聞いて下さらないようなので、二つに割ってからお帰りいただいて」
「オレだって、名探偵と同じく、貴女の言う事をおとなしく聞く気はないですよ？」
「あなたにはもう下準備をさせていただきましたから、時間をかければ問題ありませんわ。すぐに私のものにして差し上げます。ですが」
　言葉を句切り、憎しみすらこもった瞳で、貴婦人は新一を見据えてきた。
「こちらの方は、嫌な物をお持ちのようですわ。面倒ですから、あなたはいりません。それに、あなたは少し私には眩しすぎて、いけません」
　貴婦人の言葉は、新一の癇に障った。キッドは確保不能の大怪盗と呼ばれ、いまだかつて彼を捕らえた者はいない。それを簡単に、自分のものにすると言われるのは、追いかけてきた立場の人間としては、納得がいかなかった。中森警部がこの場にいたら、烈火の如く怒り狂って怒鳴り散らしただろう。
「悪いけど、この怪盗はオレのなんでね。はい、そうですかって渡すわけにはいかないんだ」
「工藤･･･！」
　子供じみた意地が言わせた科白を、どう取ったのか、キッドが嬉しそうに瞳を輝かせて、新一を見つめてくる。すぐに自分がどれだけ恥ずかしい科白を口にしたか気づいたが、今更撤回も出来ない。
　貴婦人が笑みながら、怒りを滲ませる。
「小賢しい事を言う子供だこと。お前達、お引き取りいただいて！　白いお客様も邪魔をするようなら、一緒にお引き取りいただいて結構よ！」
「はい、ご主人様」
　周囲を取り囲んだ、土くれから出来たメイド達が一斉に襲いかかる。標的は新一だが、彼を守るべくキッドも離れない。だが、一斉に襲ってくる斧を防ぐ術などない。キッドが自分の身体を盾に、庇うように新一の身体を抱きかかえた。
「バカ、やめろ、キッド！　離れろ」
「嫌だね」
　自分を庇おうとする身体を突き放そうとするが、力が入らない筈のキッドの腕は、新一は抱き締めて離そうとしない。怒鳴りつけても、返ってくるのは口角を上げた笑みばかりだ。
　二人めがけて斧が一斉に下ろされる直前、新一とキッドを取り囲むように、炎が噴き上がった。人の背丈ほどの炎は新一達を傷つけることなく、次々と土のメイド達を薙ぎ倒した。
「何事です!?」
　貴婦人の驚きを嘲るように、女の勝ち誇った笑い声がその場に響いた。

「ようやく見つけましたわ。ご苦労さま、探偵さん」

（2008.08.15初出　2019.12.28再掲）

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