星に願いを11

星に願いを
11

　黒羽快斗は怪盗キッドとして、非常に居心地の悪い時間を過ごした。
　中森警部以下、警視庁の面々が撤収した後、隠れた場所から別の部屋に案内された。敷地の外では、報道陣も撤収を始め、住宅街は静かな夜を取り戻しつつあった。
　今までいた応接室が公的なものだとしたら、こちらはプライベート客用の部屋という雰囲気だった。部屋全体のトーンが柔らかく、親しみが感じられた。外へ面した壁は硝子張りになっており、その先のテラスへ続いている。今は夜も更けて、窓の向こうに月とこじんまりしているが手入れされた庭が見えた。一応、屋敷の間取りは手に入れてあったので、快斗は今この場所から、逃走する手段は何通りかすぐに考え付く事が出来た。しかし、考え付くが実行は難しいだろうとも分かっていた。何故なら、快斗が怪盗キッドとして座っているソファの向かい側には、探偵の工藤新一が座っていた。彼は無言でコーヒーカップを傾けている。この部屋に入ってから、一切の会話はない。工藤は無表情を装っているが、何となく不機嫌なのは伝わってきた。
　居たたまれないというのは、こういう事をいうんだなと、変な所で快斗は納得した。
　白いスーツに白いマント、シルクハットの怪盗と向かい合わせに座る探偵が、会話はないが、仲良くお茶をしている。なかなかシュールな光景だ。
　この場所で少し待てと言われたものの、手持ち無沙汰この上なかった。なので、探偵に声をかけてみた。
「なあ」
「･･･」
「なあってば」
「･･････」
「なあ、無視すんなよ、名探偵」
「うるせえ、話しかけんな」
　やはり、探偵は不機嫌だった。他に人がいない所為か、口調も素に近い乱暴なものだった。営業用の笑顔も丁寧な言葉遣いも、今はどこにもない。真実の探偵の姿は、極親しい人間しか知らないものだ。快斗は自分にそんな姿を見せてくれる探偵の様子に、密かに喜んでいた。快斗の見たところ、彼の不機嫌は、キッドに対してというより、この状況に対してのようだった。探偵にとっても、怪盗と二人でいるのは不本意らしい。
「そうは言っても、少しは説明して欲しいんだけど。何でオレが探偵とお茶しているのか？」
「勘違いするな。オレはただお前が逃げないように、見張っているだけだ」
「でも、捕まえる気はないんだよな。探偵は神野浜子に雇われて、ここにいるんだろう？」
「そうだ。いいから、少し黙れ。説明は全部神野さん本人がする」
「神野さん、本人ねえ」
　意味ありげな快斗の呟きと片眼鏡越しの視線に、工藤はぷいと横を向いた。
「まあ、それはそれとしてだな、一つ名探偵本人に訊きたい事があるんだけど」
「何だよ」
「名探偵が神野浜子の愛人て噂があるんだけど、ただの噂話だよな？」
「はあ？」
　工藤が驚いた顔で、キッドの顔をまじまじと見つめてきた。すぐに、からかっているのか探るような視線に変わる。しかし、快斗としては到って真面目に真剣に訊いていた。茶化す雰囲気ではないと伝わったのか、それともキッドの思いのほか真剣な様子に気勢が殺がれたのか、一瞬、怒鳴りつけようかと開かれた工藤の口は、呆れたように閉ざされた。
「んなバカな話、あるわけねえだろうが。神野さんとオレは、ただの依頼人と探偵だ。大体、そんな話は神野さんに失礼だ」
「だよな。オレもそう思う」
「なら、訊くな、バーロー」
　下世話な噂話を、工藤は真っ向から否定してくれた。それだけで、不思議なくらい快斗の気持ちは上向いた。快斗はじんわりと広がる嬉しさを隠すように、工藤が見ていない時に砂糖をたっぷり入れた甘ったるいコーヒーを怪盗紳士らしい優雅な手つきで一口飲んだ。その時だった。
「お待たせして、申し訳ありませんでした」
　扉が開いて、神野浜子が入ってきた。

（2007.12.30初出　2012.08.17再掲）

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