星に願いを12

星に願いを
12

　高齢の女性が座った車椅子を、神野浜子が押して部屋に入ってきた。いや、正確には神野浜子ではなく、今まで神野浜子と名乗っていた女性が車椅子を押して入ってきたのだ。
　車椅子に座った上品そうな女性は髪にかなり白いものが混じり、顔も皺深く老人と呼ぶのに差し支えない外見だった。
　工藤が立ち上がり、女性を迎える。キッドも優雅にマントを捌いて立ち上がった。
　車椅子は二人の前で止まり、座っていた女性が二人を見上げ、頭を下げた。
「遅くなりまして、申し訳ありません。私が神野浜子です。足を悪くしてしまい、座ったままでの非礼をご容赦下さいませ」
　工藤は軽く会釈をした。キッドは車椅子の前に進み出た。シルクハットを取り、片膝を付いて深く頭を下げる。
「夜分に失礼しております。夜を生活の場とする住人ゆえの無作法、お許し下さい、奥様」
「いえ。私の招待を受けて下さって、ありがとうございます」
「非常にユニークなご招待でしたよ。楽しませてもらいました。尤も、無粋な招かれざる客も来てしまいましたがね」
「本当に。あの方は予想外でしたわ。でも、誰にも怪我がなくて安心しました。貴方も楽しんでくださったのなら、良かったわ。本当に、貴方にお会いできて嬉しいわ、キッドさん」
「美しい女性に喜んでいただけるのなら、それは私の喜びでもあります」
　キッドは浜子の手を取り、その手の甲にキスをした。まるで、映画かドラマの一シーンのように、それは様になっていた。
「さて、奥様、早速で申し訳ありませんが、出来ましたら、まずこの状況の説明をお伺いしたのですが」
「はい、全てお話いたします。キッドさん、工藤さん、どうぞお座り下さい」
　工藤とキッドは再びソファに座った。

　今まで浜子を名乗っていた女性は、この家の使用人で座間峰子と名乗った。峰子が新しいコーヒーを淹れ直してきてくれた。
「彼女はフランス時代から、ずっと私の身の回りの世話をしてくれています。とてもよい友人でもあります」
「先ほどは失礼しました」
　峰子はあまり表に出たがらない浜子の代わりに、公的なパーティなどで彼女の代役を務めていたという。
「向こうのパーティではやはり、女性のパートナーを連れて行くのが当たり前でして。ですが、どうにも私はそういう場が苦手だったのです。なので、主人についていく役を、峰子さんにお願いしていたんです。別に私の名前を名乗らせていたわけではないのですが、勘違いをなさる方も多くて。特に、日本には正確な情報が伝わりにくかったようです。パーティの写真だけで判断されて、親戚でも私の顔を知らない者がいる有様です。お恥ずかしいわ。でも、もう引退した人間ですから、そうそう表に出る事もないと思いまして、積極的には訂正しなかったんですの」
「でも、まさか、奥様の名前でテレビに出るとは思いませんでした」
　峰子は苦笑した。彼女の実年齢は五十歳前半で、彼女が六十歳半ばの浜子の代役をするなら、若く見えて当然だったのだ。
「今回は、私の我儘のために本当に迷惑をかけてしまって、すみません。峰子さんも工藤さんも」
「いえ、僕は正式に依頼として受けましたので、仕事ですからお気づかいなく」
　キッドは咳払いをして、話題の修正を求めた。
「すみません、私にはやはり少々お話が見えないのですが？」
「ああ、ごめんなさいね、キッドさん」
　浜子がキッドに向き直った。
「全ては、私の我儘です。峰子さんも工藤さんも、貴方にお会いしたいという私の願いを聞いて、色々動いてもらいました」
「偽の予告状は？」
「それも私が用意しました」
　キッドがちらりと工藤を見ると、工藤はすいと視線を外した。
「偽の予告状でも、怪盗キッドと何度も対決している名探偵のお墨付きがあれば本物として扱われる、そういう事ですね」
「ええ、そうです。偽の予告状と探偵の工藤さんがいれば、必ず怪盗キッドは現れると教わりました」

（2007.12.30初出　2012.08.25再掲）

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