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窓を閉じて下さい | |
| 星に願いを 15 |
| 二十年前の事件を話し終えて、浜子は愛おしむようにルビーを見つめた。 「主人からこのブローチを贈られた時に、曰くというほどではありませんが、このスタールビーは願い事を叶えてくれると聞いていました。主人はそう信じていました」 「貴女もですね、神野さん」 工藤の言葉に、浜子は満面の笑顔を見せた。 「ええ。信じています。だって、本当に願いは全て叶いましたもの。あの時、取引先の社長が殺された現場に居合わせて、夫人から血塗れの刃物を向けられた時、本当に怖かった。私、無意識にブローチを握り締めて思いましたもの。『助けて。誰でもいいから、私達を助けて』って。本当に、あんな素敵な助け手が現れるとは思ってもみませんでしたが」 二十年前のパリに現れた白い泥棒。それは間違いなく快斗の今は亡き父盗一である。快斗は不思議な感慨を持って、浜子の話を聞いていた。 「その後、順調だった仕事はますます順調で、おかげさまで私達の会社は本当に大きくなりました。会社は私達の手から離れましたが、もう充分です。生前の主人とよく話していたのです。あの時、キッドさんに助けられなければ、今の私達はなかったと。だから、いつかお礼を言いたいと。あの時は、もうただただ驚いていましたので、ろくにお礼も言えませんでしたから」 浜子はキッドに向かって、深々と頭を下げた。 「本当に、あの時はありがとうございました。私達夫婦は貴方のおかげで救われました。お礼が遅くなりました事、お詫びいたします」 「いえ、そんな。当然の事をしたまでです。顔を上げてください、奥様」 本当に礼を受けるべき人間は、既にこの世には居ない。しかし、それを告げる事は出来ない。それは、怪盗の正体に直結する最高の秘密事項だからだ。 「それで、お礼というわけではありませんが、私の願いは全て叶えてもらいました。貴方にもう一度会いたいという願いまでも。これ以上、私が望む事は何もありません。ですから、この宝石は貴方に差し上げます。どうか、お持ちになって下さい。今度は、貴方の願いを叶えて下さい」 快斗は、目の前に置かれたスタールビーを見つめた。二十年前に、同じように亡き父もこの宝石を見たのかと思うと、少しだけ胸が締め付けられた。快斗は宝石箱の向きを変えて、浜子へ戻した。 「いいえ。これは受け取れません。この宝石は貴女の胸元でこそ美しく輝くものです。貴女と貴女の旦那様の思い出と共に。私には眩しすぎるものです、奥様」 「そうですか。ありがとう、キッドさん。では、年寄りの頼みとして、もう一つだけ我儘を聞いてくださいませんか？」 「何でしょうか？」 「私は、視力ももう随分衰えてしまいました。眼鏡をかけても、ほとんど見えないのです。貴方のお顔に一度だけ触れさせてもらえないでしょうか？」 「どうぞ」 迷いもなく快斗は答えて、立ち上がった。探偵の驚きの視線を頬に感じた。この顔が素顔かどうかなど、誰も分からない。ただ、触れるだけならば、キッドの使う変装用マスクは高性能の特殊樹皮を使っているので、本物の肌かどうかの判別は難しいだろう。中森警部のように、強い力で引っ張られれば、話は別だが。だが、それでも触れるだけでも、相手に悪意があれば、正体がばれる可能性は高くなる。しかし、亡き父との因縁を持つ女性の頼みを断わる気は、快斗にはなかった。 快斗は白いマントを翻し、浜子の前に跪き、その手を取って自分の顔にあてさせた。 浜子の手が、思い出を辿るようにゆっくりとキッドの顔を撫でていく。やがて、彼女の人生の苦労が刻まれた皺だらけの手は、キッドの顔から静かに離れていった。 「ありがとう、キッドさん」 快斗はよく見えてはいないだろうが、浜子の前で手首を返した。ポンという軽い破裂音と小さな煙と共に、赤い薔薇を手の中に出現させた。浜子の手を取り、薔薇を渡す。 「今夜の幸福な出来事と出会いは、いつまでも忘れずにいて下さい」 「まあ、まあ」 嬉しそうに浜子の顔が歪んで、その衰えた瞳から大粒の涙が溢れた。 （2007.12.30初出 2012.09.22再掲） |
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