星に願いを16

星に願いを
16

「お、奥様!?」
　峰子が慌ててハンカチを差し出した。
　快斗が薔薇と言葉と共に捧げたのは、亡き盗一の声色。彼女は二十年前の、たった一度だけしか会った事のない泥棒の声を忘れずにいてくれた。それは、快斗にとっても嬉しい事だった。
　快斗は、観察者としてこの場にいる探偵に眼を向けた。
「今回は、いい所なしだね、名探偵」
「依頼が依頼だから、仕方ない。依頼人の希望を叶える為に、オレはここにいる」
「偽物の予告状を見抜けなかった間抜けな名探偵、と言われても？」
　工藤が不貞腐れたように横を向いた。
「中森警部も見抜けなかったんだから、いいんだ」
　とはいえ、ワイドショーなどで大見得を切っているので、ダメージがより大きいのは、警察よりも工藤の方だろう。意地っ張りな探偵に、快斗は苦笑する。
　快斗は浜子に付いている峰子にそっと近づき、小さく囁いた。
「使いだてて申し訳ありませんが、これを後で中森警部に渡して下さい」
　快斗は一枚のカードを峰子に渡した。受け取った峰子は中身を読んで、キッドを見た。
「よろしいのですか？」
「事前に否定をしなかったのは、私ですから」
　カードには、
『無粋な偽者が現れたので、今回の予告は取りやめました。お騒がせしました。怪盗キッド』
　いつものマークも手描きでしっかりと入っていた。
　神野邸に落ちていたと発表されたカードの中身を知って、探偵が更に不貞腐れるのは、後日の話である。
「さて、奥様。お名残惜しいですが、そろそろ私もお暇しようかと思います」
「はい、そうですね。今日は、来てくださってありがとうございました」
　涙を拭いた浜子に、キッドは笑いかけた。
「しかし、私も怪盗を名乗る者。やはり、手ぶらでは帰れません。思い出の宝石はいただけませんが、別の宝石を盗らせていただいてもよろしいですか？」
　勿論、聞き逃すはずもなく、工藤がキッドの肩を掴んだ。
「おい、調子に乗るなよ、怪盗キッド。オレの前で窃盗をする気か！　って、おい？」
　快斗は、無用心に近づいた探偵の腰に腕を回し、抱き寄せた。何が起こったか理解できていない探偵の両手首に、ついでに手錠もかける。先刻、頬を引っ張られた時に、意趣返しに中森警部のポケットからくすねておいた手錠だ。
「おい、こら、キッド！　何しやがる！」
　硬質な音と共に、自分の手首を拘束した手錠を見て、工藤が屈辱と怒りに震える。
「このキッド様を、偽の予告状で誘き出してくれたお礼だよ」
「ああ、ごめんなさい、キッドさん。それは私がお願いした事ですから。工藤さんは悪くないんです」
　慌てる浜子に、快斗は優雅に人差し指を揺らした。
「奥様、貴女は気に病む事はありませんよ。この工藤探偵は、全てを分かった上で、私を罠に嵌めたのです。私を招くためだけなら、他にもやりようがいくらでもあるのに、彼は、私が最も怒ると思われる方法を選択しただけでなく、それは楽しそうに私を挑発したのです。当然、その報いを受けていただきます」
「何を勝手な事を言ってやがる！」
「ですが、キッドさん」
「大丈夫ですよ、奥様。心配しないで下さい。酷い事はしませんから。まあ、私と探偵の仲ですから、よくある事です」
「どんな仲だ！　ってか、こんな事、よくあるわけねえだろ。大体、手錠をかけるなんて、充分に酷い事してんじゃねーか！」
　冷静な探偵の姿をかなぐり捨てて、工藤が叫んでいる。こんな姿はそう見られるものではないだろう。
　快斗は拘束した工藤の身体を引きずるように、テラスへ出た。月と星々が綺麗に夜空を彩っていた。峰子が車椅子を押して、浜子もテラスに出てきた。
「では、奥様、今宵はこれで失礼いたします。この何にも代えがたい至高の宝石、盗ませていただきます」
「ちくしょー、何を寝ぼけた事を言ってる！　離せー！」
　楽しそうな怪盗と探偵の様子に、浜子は口元を綻ばせた。
「まあ。貴方に盗めますかしら？　かなり大変そうのようですが」
「盗んでみせましょう。不可能を可能にする、それが怪盗キッドです」
「こらー、うっ？」
　手の中に納まるミニスプレーの催眠ガスを噴射すると、騒いでいた探偵は大人しくなった。さすがに暴れる探偵を抱えて、空を飛ぶ事は出来ない。
「では、奥様、御機嫌よう」
　キッドはマントを一瞬で帆のように張った。意識を失った探偵を腕に抱え、テラスの手すりを蹴り上げ、飛び立った。夜空に白い影が滑空していく。
　去っていく影を見送りながら、身体に悪い夜風を避けるために、車椅子を室内に戻した峰子が心配そうに浜子に確認する。
「あの、奥様、本当にあのままでよろしいのですか？　工藤さんは大丈夫でしょうか？」
「大丈夫でしょう。あれはじゃれてるようなものだわ。だって、あの子達とても楽しそうでしたでしょ？」
「え、ええ」
「峰子さん、カーディガンを取ってきてもらえますか？　もう少しこのまま外を見ていたいのです」
「分かりました。すぐにお持ちいたします」
　一人になった室内で窓硝子越しに、浜子は弱った瞳にはぼんやりとしか見えない月を見上げた。
「もう逝ってしまわれたのかしら。あの方に会えなかったのは残念だったけど、でも、帰ってきて良かった。強くて優しい子供達に会えましたよ、あなた」
　浜子は手の中のスタールビーが嵌めこまれたブローチを撫で、静かに微笑んだ。

（2007.12.30初出　2012.09.28再掲）

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