星に願いを17

星に願いを
17

　快斗は勝手知ったる他人の家、工藤邸に玄関から堂々と入った。勿論、鍵は自力で開けた。
　流石に、工藤を抱えたまま長距離をグライダーで飛ぶ事は出来ず、人目のつかない適当な所で地上に降りた。怪盗の姿を解いて私服に変わり、眠っている工藤に肩を貸すように引きずってタクシーを拾う。これなら、酔った友人を介抱している若者を演出できる。勿論、怪しまれないように手錠は外してある。タクシーは工藤邸の近くで降りた。
　無事に工藤の部屋に辿り着き、ベッドに寝かせた。持続性はない筈だが、催眠ガスがよく効いたようで、探偵はまだ目覚める気配がない。
　工藤は以前に薬物の作用で、身体が小さくなるという急激な変化を起こしている。一応、心配になり、快斗は工藤の顔を覗き込む。呼吸は安定している。寝顔に苦しそうなところはない。むしろ、無防備であどけなくすら見える。薄く開いた唇に、快斗の鼓動が少しだけ速くなる。
「おい、名探偵、起きろよ」
　紳士的でない衝動に駆られそうになり、快斗は慌てて工藤の頬を軽く叩いた。
「ん･･･」
　僅かに寄せる眉が悩ましい。
「おい、工藤、起きろ！」
　もう少しだけ強く頬を叩いた。
「う？」
「っと、やべ」
　工藤の瞼が上がる寸前に、快斗は私服から怪盗キッドに姿を変えた。
「ん･･･ここ･･･？」
　少し寝ぼけた工藤の声は甘えているようで、普段の傲岸不遜な探偵を知っているだけに、そのギャップは心臓に悪かった。快斗はそれでも、怪盗紳士らしいポーカーフェイスを保つ事には何とか成功した。
「名探偵の部屋だぜ」
「！　キッド！」
　一気に覚醒した工藤が起き上がり様、キッドに殴りかかってきた。予想していた快斗は最低限の動きで、工藤の拳をかわした。
「っぶねーな。折角、家まで運んでやったのに」
「誰も頼んでねえ！　ってか、オレの意識を失わせたのは、どこの誰だ！」
「ここに居る、オレ」
　快斗はおどけながら得意の早業で、工藤が腕を引いた時には、再び彼の両手に手錠をかけてやった。
　工藤が怒りの瞳で、キッドを睨んでくる。その凄まじい眼光に、快斗は一瞬見惚れた。
「てめー、キッド、手錠をはずしやがれ」
「嫌だね。はずしたら、名探偵、殴ろうとするだろ？」
「当たり前だ」
「オレだって、自分の身が可愛いからね。だから、はずしてやんない」
「おい！」
　怒りに燃えた工藤が両手を組んで、キッドに振り下ろしてきた。快斗は組まれた拳の両手首を片手で掴んで、そのままベッドに押し倒す。倒れた所に馬乗りになり、探偵の最も凶悪な武器である脚を封じた。
「どけ、キッド！　離せ！」
　頭上にまとめて手首を押さえつけて、快斗は工藤の顔を覗き込んだ。片眼鏡のクローバーの飾りに、頬を撫でられて工藤の顔が強張った。探偵を真直ぐ見下ろす瞳に、笑みはなかった。
「名探偵･･･」
「な、なんだよ」
　吐息が触れ合いそうな至近距離で覗き込んでくる、笑みを消したキッドの様子に、工藤も身を硬くする。
「工藤が、あの人の愛人だって噂を聞いて、オレ、自分で驚くほど、すっげーショックだったんだぜ？」
「は？　何でだよ？」
　真剣に問い返してくる探偵は、本当に酷い人間だと快斗は内心で溜息をつく。
「何でだと思う？」
「え？　ちょ、おい!?　ん、んんっ!?」
　探偵と怪盗の間に、ほんの僅かの距離もなくなった。
　怪盗の唇が、柔らかく探偵のそれを覆う。混乱にぎゅっと引き結ばれた唇に無理強いする事なく、快斗は重ねただけの唇の熱さと甘さを堪能した。
　触れるだけのキスで我慢して、快斗は顔を離した。
「な･･･んで･･･こんな･･･」
　何を言えばいいのか、探偵も迷って、まともな言葉は出て来なかった。快斗は悪戯っぽく笑ってみせた。
「オレを罠に嵌めた罰だよ、名探偵」
「は？」
「てのは、嘘」
　自覚してしまった気持ちを知らない振りはできなかった。気づいてしまった気持ちは大きすぎて、嘘もつけない。
　睫毛が触れ合う距離で、夜の静けさを壊さないように囁いた。
「どうやら、オレ、名探偵が好きみたいなんだ」
「え？」
「名探偵を、盗んでもいい？」
　もう一度唇に軽いキスを贈る。工藤の唇が震えた。
「･･･ち･･･」
「ち？」
「調子に乗んな！」
　流されてくれそうな雰囲気に油断したところを、快斗は工藤の黄金の脚力でベッドから蹴り落とされた。
「な、何が盗んでもいい、だ！　そう簡単に盗まれてたまるか！」
「ちぇ、満更でもなさそうだったのに」　
　快斗は一緒に転げ落ちたシルクハットを拾って立ち上がると、引き際を心得て、窓辺に寄った。素早く鍵を開けて、窓を大きく開け放つ。冬の冷たい夜風が入り込んできた。
「ま、確かに、そう簡単に盗めるんじゃつまらないもんな。お楽しみはまた今度ってね」
「今度もくそもあるか」
「そこはそれ、不可能を可能にする怪盗キッド様の腕の見せ所」
　ぱちんと指を鳴らすと、工藤を拘束していた手錠が消えて、代わりに薔薇の花が彼の手にあった。
「この手錠は返さないと、中森警部が始末書を書くハメになっちまうからな。ちょっと惜しいけど、手錠プレイはまた今度な」
「変態！」
「じゃあな、名探偵。次は、普通に招待状をくれよ。お茶のお誘いなら、いつでもＯＫだぜ。今回のような罠には、もう引っかからないからな。二度はごめんだぜ」
　言葉を残してひらりと白いマントが翻り、冬の夜に怪盗の姿は消えていった。
「ちくしょう、こっちだって、次は簡単に盗られねえぞ･･･」
　語尾が口の中に消えて、工藤の顔が真赤に染まる。工藤は、まだ熱くて柔らかな怪盗の甘い感触が残っている唇を手の甲でぐいと拭った。
　ベッドの上には、鮮やかな赤い薔薇が残されていた。

　冬の空気に冴え渡る、月と満天の星だけが、怪盗と探偵の密かな攻防の顛末を見守っていた。

（2007.12.30初出　2012.09.30再掲）

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