星に願いを6

星に願いを
6

　中森が面白くなさそうに、工藤に近づく。
「テレビで大見得切った割には、随分な重役出勤だな」
　窓の外を見れば、空は日没を迎え赤く染まっていた。怪盗キッドの今回の予告状には細かい時間指定はなく、ただ『夜』とだけ書かれていた。夜、つまり日没から日の出までの広い時間帯全てが予告時間だった。
「日没までまだ数分ありますよ。それに、中森警部の警備計画を信用していますから。屋敷全体を警備するような人海戦術は、一個人の探偵には到底出来ません。ちゃんと分はわきまえているつもりですよ。夜は長いのですし、あまり最初から気負っていても、いざという時に疲れてしまいますから」
「ふん、よく言う。で、今の今まで何をしていたんだ？」
「ちょっと調べ物を。後は、屋敷の周囲を見せてもらっていました。さすが、警部さん、怪盗キッドが侵入できそうな場所は一つもありませんでしたよ」
「当たり前だ。その為の警備なんだから。ところで、勿論、お前も例外じゃないぞ、探偵ボウズ」
　中森が意地悪く楽しそうににんまり笑った。工藤は涼やかな顔で肩を竦めた。
「ええ、勿論、承知していますよ、中森警部」
　工藤はずいと顔を差し出し、中森が思い切りその両頬を左右に引っ張った。先刻の近江と同様に、しかし彼の脂ぎった頬と比べれば滑らかな工藤の頬は本物だった。彼もまた怪盗キッドの変装ではなかった。
　中森のチェックを受けて、頬を赤くした工藤が浜子を見つけて、笑顔を見せた。
「神野さん、遅くなりまして申し訳ありません」
　浜子は見惚れるように工藤の顔を見つめてから、ゆっくりと破顔した。
「お待ちしていましたわ」
　探偵を迎えて嬉しそうな浜子の様子に、近江は苦々しげに舌打ちをした。

　浜子は、工藤と近江と中森を応接室に招いた。部屋に入るなり、中森は不満を口にした。
「神野さん、そろそろルビーを何処に置いたか教えてもらえませんか？　でないと、我々も警備のしようがありませんよ」
「大丈夫ですわ、中森警部。この家の中の、最も安全な場所に保管してありますから」
「ですが、」
「ルビーの保管場所を重点的に警備すれば、それだけ怪盗キッドに場所を知らせるようなものですから。保管場所を知っているのは、私だけです。そうすれば、キッドはルビーを探して家の中を探し回る事になります。そうしている間に、警察の方にキッドを捕まえてもらう時間が稼げます」
　中森が胡乱げに苦く言葉を吐いた。
「神野さん、それは貴女のお考えですか？」
「いいえ、工藤さんの提案です。でも、それで、私も納得しましたので」
「くーどーおー」
　中森に恨みがましそうに睨まれても、工藤は涼しげな微笑を湛えたままだった。
「相手は怪盗キッドですからね。用心に用心は重ねた方がいい。情報は出来るだけ発信しなければ、彼がかぎつける事も出来ませんから」
　工藤の言葉にも一理あると判断して、何より所有者がしまいこんだ物を今更無理やり出させるわけにもいかず、中森は引き下がった。今、そんな事をすれば、どこでキッドに気づかれるかもしれない。
「ったく、仕方ない。その代わり、何か異変があった場合、すぐに警察に知らせて下さい。いいですな」
「ええ、分かっております」
　中森は警備状況の報告を受ける為に、退室して行った。
　浜子がお茶を淹れてくると席を外し、応接室に残ったのは、近江と探偵の工藤の二人だった。浜子に勧められて、二人は三人掛けのソファに並んで座っていた。
　近江が隣に座っている工藤の爪先から頭のてっぺんまで、無遠慮に視線を向けた。
「探偵というより、ホストみたいだな」
　吐き捨てるように近江が言ったが、工藤は薄く笑んだまま聞こえないかのように無視をした。
「本当は、神野の愛人じゃないのか？　そんな噂を聞いたぞ」
　工藤の視線が動いて、ちらりと近江を見た。表情は変わらずに穏やかに笑んでいたが、一瞬だけ視線に冷酷な光が閃いた。
「僕は、ただの探偵ですよ」
「ど、どうだか」
　こんな若造に気圧されたと気づかれないように、近江は一瞬の殺気に似た冷気に怯えた自分を押し殺し、虚勢を張った。
「言っとくが、あの婆さんには財産なんてほとんどないぞ。爺さんが死んだ時に、自分の持っていためぼしい有価証券は処分しているし、生前分与できるものは全て分与しちまっている。せいぜいが、自分が死ぬまで生活できる程度のぎりぎりの資産しか手元にない筈だ。こんなつまらない依頼なんて受けていないで、さっさと帰って別の浮気調査でもしたらどうだ、探偵さん」
「神野さんの資産の事については、ご本人から伺っておりますよ。神野さんの資産を心配して依頼料をまけろというお話でしたら、神野さんと直接しますから、ご心配なく」
　近江が憎憎しげに工藤を睨んで、更に口を開こうとした時、浜子がコーヒーを淹れて戻ってきた。
「お待たせしました。あら、どうかしましたか？」
「いえ、何でもありません」
　何事もなかったように工藤は答え、浜子の手前、近江は睨みつけるだけに留めた。
「神野さん、今日は使用人の方はいないのですか？」
　目の前にコーヒーを置いてくれた浜子に礼を言いながら、工藤が訊ねた。
「いえ、おりますよ」
　簡潔な浜子の答えに満足したのか、工藤もそれ以上の質問はしなかった。
　浜子は二人の向かいのソファに座った。
「さて、近江さん、怪盗キッドの予告はただ『夜』としかなっていません。いつ来るのか分かりませんので、手短にお願いします。ご用件は何かしら？」
「ああ、そうですね。私もあまり無駄な時間を過ごす事は好きではないので、単刀直入に言いましょう」
　近江はコーヒーカップを置いて、口調を一変させた。

「お前が持っているスタールビーを、オレに渡せ」

（2007.12.30初出　2012.06.17再掲）

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