星に願いを7

星に願いを
7

　工藤は特に反応せずに、コーヒーカップを傾けていた。浜子も別段驚いた様子を見せなかった。
「近江さん、あなたは怪盗キッドなのかしら？」
「まさか。オレを、あんなこそ泥と一緒にしないでもらおうか」
「あなたもご存知だと思うけど、あれは大きさはあるけれど、そんなに高価な宝石ではありませんよ？」
「そんな事は関係ない」
　近江は腕を伸ばして、袖の中に隠していたナイフを手の中に落とした。
「警察の身体検査なんざ、ザルみたいなもんだぜ。大声を上げて、警察を呼んでも無駄だ。そんな事をしても、警察官が駆けつける前に、こいつもお前も切り刻んでやる。おとなくしていろ」
　近江は隣に座っていた工藤の首筋に、ぴたりとナイフを当てた。工藤はちらりと刃先に視線を向け、静かにコーヒーカップをソーサーに戻した。
「近江輔、神野食品常務。素行の悪さが目立ち、常務という肩書きはあるものの、実際は何の権限もない閑職。最近になって、胡散臭い外国人との接触を多数目撃されている。その頃から金回りがよくなったと、周囲の評判になっている」
「よく調べたな」
「あのルビーに怪盗キッドの予告状が出てから、神野さんの親戚、交友関係全て調べました。その中で、貴方が仕事とは関係なく外国を行き来し、羽振りがいい事に気づきました」
「ほう、それで？」
　近江は工藤にナイフを向けたまま、楽しそうに先を促した。浜子は黙って二人を見守っている。浜子が少しでもおかしな動きをすれば、近江のナイフは容赦なく工藤の首筋を切り裂くだろう。凶悪に光るナイフの刃には、無言の威嚇があった。
　工藤は自分に向けられたナイフなど存在しないように、表情一つ変えなかった。
「怪盗キッドには、あまり知られていませんが、敵対している組織があります。その組織はある宝石を捜しています。つまらない与太話のついた、下らない宝石です。神野浜子さんが所有する、願い事が叶うという曰く付きのスタールビー。奴らの食指が動きそうな話だ」
　一拍置いて、工藤は近江を見据えた。冷ややかな絶対零度の視線で。
「近江さん、貴方は組織の人間ですね」
　工藤の言葉に、近江の顔が笑みの形に醜く歪んだ。
「当たりだよ、探偵さん。よく知っているな」
　下卑た笑い声が続いた。
「では、怪盗キッドの偽の予告状を出したのも、貴方ですね？」
　近江が怪訝そうに眉を寄せた。しかし、工藤の首筋に当てたナイフの切っ先が鈍る事はなかった。
「は？　何の事だ？　逆だ。怪盗キッドの予告状が出たから、オレ達はこの宝石に気づいたんだ。宝石的価値が低かったから、オレ達の情報網には全く引っかかってこなかった。しかし、そんな曰くつきの宝石なら、話は別だ。こちらの捜す宝石である可能性は高い。だから、キッドのこそ泥野郎に盗られる前に宝石を奪う為に、オレが来てやったってわけだ」　
「ふむ、なるほど」
　ナイフなど忘れたかのように、工藤が顎に手をあてて考え込む。
　大人しい探偵の様子に、近江が勝ち誇ったように浜子に視線を向けた。
「さて、おしゃべりはここまでだ。おい、婆さん、このアンタがお気に入りの探偵の綺麗な顔に傷をつけられたくなければ、ルビーを持ってこい。そうしたら、お前もこいつも命だけは助けてやる！」
「ようやく、謎が解けました」
「は？」
　近江の命令など聞いてもいない、工藤の静かな声が部屋に響いた。工藤は人差し指を立てて、思考をまとめるように揺らした。
「なるほどなるほど。つまり、怪盗キッドはまんまとハメられたわけですね」
　工藤の言葉に、浜子はにっこりと微笑んだ。
「はい、そうなります」
「何だ、お前ら、何を話している!?」
「まだ分からないのですか？　やれやれ、困った人だ。つまりですね、こういう事です」
　するりと刃を避けて立ち上がった工藤は、胸ポケットの白いハンカチに手をかけた。
「何!?」
　引っ張り出されたハンカチと思われた布は流れるようにポケットから溢れ出し、その一端が近江のナイフを弾いた。瞬きをする間に、大量の白い布が探偵を包んだ。
　そして、白いマントが翻り、その下から現われたのは探偵ではなく、シルクハットに片眼鏡の見慣れた白い怪盗の姿だった。

（2007.12.30初出　2012.06.21再掲）

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