Winter　Dream　8

　新一は石村氏の部屋に戻った。まだ、襲撃者の動きはない。
「キッド」
　宝石の入った鞄を持った加藤が、外の様子を窺っている。新一の姿を認めて、初老の男性は若者のように肩を竦めた。
「隠れてろって言ったのに」
「そうは行くか、バーロー」
　新一の部屋の時とは逆に、キッドの肩越しに新一が外を窺う。
「で、今外にいる奴らが、不老不死の宝石を狙っている一味なのか」
「･･････そういう事」
「石村氏の宝石は、本当にその不老不死の宝石なのか？　お前の事だ、もう調べてあるんだろ」
「名探偵には敵わないな。残念ながらというべきか、幸いにもというべきか、じいさんの持っていた宝石は全部はずれだったよ」
「そうか。それにしても、お前の探し物が不老不死の宝石とはね」
「さて、オレはそんな事、一言も言ってないぜ。オレの探し物が奴らと同じ物かどうかなんて、分からないんじゃねえの？」
「ここまで来てシラを切るんじゃねえよ」
「イテッ」
　後ろからキッドの脛に、軽い蹴りを入れた。
「本当に奴らはやばいんだ。目的の為なら、人殺しもなんとも思っちゃいねえんだ」
「今回、巻き込んだのは、お前だろうが」
「それはそうだけど。だから、安全な場所で隠れていてくれると助かるんだけどね」
　キッドは大仰に溜息をついてみせた。冗談めかして芝居がかっているけれど、恐らくはそれがキッドの本音。自分が傷つくことは厭わずに危険な場所へ赴き、周りの人達を安全な場所に置いて守ろうとする。

　絶望の嵐の中を飛んでいく、白い鳥。

　不意に、あの絵画を思い出して、不可解な苛立ちに新一は唇を噛んだ。何かが悔しくて、もう一度、今度は更に強くキッドの脛を蹴った。
「ッ」
　怪盗は流石に声を上げる事はしなかった。しかし、振り返ったキッドの瞳は涙目だった。相当痛かったらしい。声を殺してキッドが抗議する。
「何するんだよ、名探偵」
「別に」
　明後日の方を見て、キッドの抗議を無視した。新一を苛つかせた怪盗が悪い。
「ったく、名探偵、そういう事すると嫌がらせするぞ」
「え？」
　ぱさりと布ずれの音がした。
　視線を戻した時には、そこにいるのは黒の執事服を着た初老の男性ではなく、白いマントとシルクハット、片眼鏡をつけた見慣れた気障な怪盗が立っていた。
「キ」
　名前を呼ぶ前に、窓の横の壁に押し付けられ、そして、唇を奪われていた。
　強い力で両手首を壁に縫い止められ、抵抗しようにもキッドの膝に足を割られ、抵抗できない。普段の優雅な所作を裏切って、怪盗の舌が強引に歯列を割って入り込んでくる。
「んぅ」
　吐息ごと舌を絡めとられ、甘く吸い上げられて、ぞくりとした何かが背骨を駆け下りて身体が震えた。
　怪盗とキスをするのは、これが初めてではなかった。
　以前に秋の終わりに、偶然出会って、その時はお互いに色々と弱っていて、傷を舐めあうように同じ夜を数えた。そこにあったのは、互いに対するただの同情で、愛情では決してないと互いに割り切っていた。
　けれど、重ねた唇は温かくて、いつかの夜のように流されてしまいそうになる。
　ただの嫌がらせなのに。
「･･･っ」
　甘い疼きが広がる前に、キッドの唇が離れた。間近で触れ合う吐息は互いに熱を持っているが、その意味には気づかない振りをする。
　ぺろりとキッドの舌が、新一の唇を舐めた。
「名探偵、動けるか？　それともオレのキスで力が入らない？」
「んな訳ねーだろ。動けるに決まってる。馬鹿な事しやがって」
「残念」
　大きく息を吐いて、新一はキスの余韻を払拭した。大体、こんな事をしている場合ではない。頭を切り換える。
「どうするつもりだ」
「警察が来るにしても、やる事やっとかないと、またあいつら来ちまうからね。ちょっと手伝ってくれるかな、名探偵？」
「始めから、そのつもりだったのだろうが。いいぜ、何をすればいい」
　小気味よい探偵の返事に、怪盗は犯罪者と思えないほど、嬉しそうに屈託のない笑顔を浮かべてみせた。


（2008.12.29初出　2020.12.27再掲）

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