冬の夢9

Winter　Dream　9

　快斗は宝石の入った鞄を持って、石村氏の部屋のバルコニーに出た。勿論、組織の人間に気づかれるように思い切り派手な音を立てて、窓を開け放った。
　雲が随分空を覆っていたが、まだ月は出ていた。風にマントを遊ばせ、スポットライトのように月光を浴びて、夜に怪盗キッドの姿が浮かび上がる。
「怪盗キッドだ！」
　隠れていた男達に動揺が走る。それはそうだろう。今回キッドは予告状など出していない。組織の男達にしてみれば、独自に入手した情報に従いパンドラ候補の宝石を奪いに来たところへ、予想していなかった怪盗キッドが姿を現したのだから。
「おや、これはこれは、どこかで見た皆様方もおいででしたか。残念ながら、石村翁のビッグジュエルコレクションはこちらですよ」
　これ見よがしに鞄を叩いて見せ、バルコニーの手摺りから、屋根へと軽々と飛び移る。
「撃て！　わざわざ姿を見せてきたんだ。奴を殺せ！」
　快斗の足下に男達の銃弾が着弾する。まるで、ダンスのステップを踏むように、快斗は軽やかに避けて、屋根を登っていく。
「うわっ」
「何だ、どうした!?」
「何かが飛んできて、手に！」
「ぐっ、こっちもだ！」
　銃を構えていた男達の手から、次々と拳銃が弾かれていく。
　快斗はその射撃の正確さに感嘆し、口笛を吹いた。
「さっすが、名探偵。敵に回すと恐ろしいけど、味方にすると頼もしいね」
　工藤には、予備のトランプ銃を渡して援護を頼んだ。トランプ銃は快斗のお手製だ。普通の拳銃とは重量も違うし、射出されるのは鉛弾ではなく、コーティングされたカードだ。当然、発射の反動も異なる。しかし、それらを物ともせずに、工藤はトランプ銃を操り、正確に狙撃し、キッドを援護してくれている。
　勿論、援護を頼む時、工藤には絶対に姿は見せないようにと約束させた。もしも危険な真似をしたら、快斗は自分の身が危なくなっても助けに行くと宣言してある。それが嫌ならば、自分の安全を最優先しろと。キッドが出した条件を受け入れた時の、工藤のふて腐れた顔を思い出して、快斗は笑いをかみ殺した。
「ホントに、オレ達は変な泥棒と探偵かもな」
　怪盗の為に敢えて危険を冒そうとする探偵。
　探偵の身の安全を守るために、無茶をしたら自分がもっと無茶をすると脅す怪盗。
　恐らく、誰からも理解されないだろう。尤も、自分達ですら正確には理解していないのだ。他人に理解される事など望むべくもない。
「っと」
　気を取られすぎたか、着弾が随分と足下に近かった。何してたんだと、後で探偵に怒られるかも知れない。
　快斗は軽やかに屋根の頂点に登った。
「折角来ていただいたのだから、では、そこで私がパンドラを手にする様をとくとご覧あれ」
　芝居がかった仕草で、鞄の電子ロックを開ける。これくらいは怪盗にとって、朝飯前だった。中に入っていた宝石の一つを取り出す。男達にもよく見えるようにして、月に翳した。
「おや、これははずれですね」
　おどけて覗き込んで、パンドラでない事を確認して、鞄に戻す。
「いいから、キッドを撃て！　宝石の確認は、奴から奪って後でかまわん！」
「無駄な労力を使わないで、確認してからにすればいいのに」
　男達の血の気の多さに、快斗は溜息をついた。そして、さらに血の気が多そうな探偵は、男達の銃をトランプ銃で上手く弾いていく。
「私の仲間は射撃の名手でね。痛い目を見たくなければ、大人しくしていて下さいよ」
　快斗は次の宝石を月に翳す。石村氏の宝石は全て既に確認済みだ。結果は分かりきっている。はずれの宝石だった。快斗の手の中で、中に魔性の宝石を抱くことなく、宝石は正しき輝きを月光に反射させている。
「そして、これが最後の一個」
　勿体を付けながら三個目の宝石を取り出した快斗は、歯ぎしりしながら自分を見上げている男達を一瞥した。
　本当ならば、彼らの一人でも捕まえて組織について情報を得たいところではある。しかし、この屋敷にいる老人と、今回は自分が巻き込んでしまった探偵を危険に晒すわけにはいかない。欲張れば、それは身の破滅に繋がる。何よりも、周囲の安全を優先させなければならない。それが、怪盗キッドの、黒羽快斗の矜持である。
　キッドが翳した宝石はどれ一つとして、望む輝きを見せなかった。
「残念、どうやら全部はずれのようです。そちらの方々はどうしますか？」
「パンドラがないなら、尚更だ。手ぶらでは帰れん。お前の命を代わりにもらっていく！」
「そう言うだろうと思っていましたよ。でも、そんな余裕はないと思いますよ」
「何だと!?」
「ほら、耳を澄ませてごらんなさい。何かが聞こえてきませんか？」
　キッドの言葉につられて、男達は口を噤んで耳を澄ました。遠くから徐々に近づいてくる音が聞こえる。聞き慣れたサイレンの音。
「警察だ。パトカーの音が聞こえる。警察が近づいてきてます」
「どうしますか!?」
　リーダー格の男が舌打ちをした。
「仕方ない、撤収するぞ」
「キッドはどうします？」
「放っておけ。警察に囲まれたら厄介だ。引け」
　彼らの主人は何より、公になる事を嫌っているようだった。今までの経過からも、それは窺い知れる。リーダー格の男が、まともな情勢判断が出来る男でよかった。男達の逃走を確認して、快斗は鞄を締めて、屋根からバルコニーへ降りた。
「さて、オレも出番は終わった。後は名探偵殿に任せて、失礼しよう」
　バルコニーに鞄を置いて、ひらりと手摺りに上がる。サイレンの音だけでなく、赤色灯の明かりも庭の木々の間から確認できる。警官隊が突入してくるのは、時間の問題だろう。天候も味方してくれるのか、雲が満月にかかり始めた。
「じゃあな、名探偵。事後処理はよろしく頼むよ」
　一瞬で、マントをグライダーの帆に変える。
　狙撃していた場所から、工藤が飛び出してきた。
「おい、キッド、ちょっと待て」
「悪いけど、待てねえよ」
　警察が近づいている事よりも、これ以上、工藤の傍に居たくなかった。また、自分の中の衝動に流されそうになる。手摺りを蹴って、夜に滑空する。工藤の声が追いかけてきた。
「待てよ、この銃、どうすりゃいいんだよ！」
　彼の手には、キッドが渡した予備のトランプ銃があった。忘れていたわけではない。
「後で取りに行く。預かっててくれ」
　一緒には居たくない。けれど、会いに行く口実を残してしまった。工藤は、あの銃を証拠品として警察に引き渡す事はしないだろう。何故だか分からないが、それは確信だった。
　そして、快斗は月明かりのなくなった冬の夜を、冷たい風を受けながら、石村邸を後にした。

（2008.12.29初出　2021.01.25再掲）

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